この国は一見平和そうにみえるが、80にも及ぶ少数・多数の部族が若干のイデオロギーを絡めながら密やかに抗争している。爆弾テロも小規模ながら頻繁におきている。 門の外を山羊の群が通った。30頭はいただろうか。首都・アジスアベバの真ん中でもこのような光景が見られることに感心しつつ、カメラを向けると、門番の一人の若い女性がこちらに向かって大声を上げている。 「アメリカ製か?」と銃を指さすと、「いや、エチオピア製だ」と自慢げに銃身をなでる。 「これ、すごいじゃんか」と今度こそ目当ての銃剣を指さした。 もう一人見ている人がいた。さっき分かれた連れだ。気が付くと5メートルほどのところから呆然としてこちらを見ていた。 ![]() |
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この国は3000年の歴史を誇る国だそうだ。 連れの男は旧約聖書の記述を引き合いに出し、自慢げに国の成り立ちを説明してくれる。有名なシバの女王もエチオピア人だそうだ。正確にはアビシニア人と言うべきなのだろうか。たしかに骨董屋に行くとその歴史を彷彿とさせるナイフが並んでいる。 |
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アラビア文化の影響も強く受けているため三日月ナイフもゴロゴロしている。昔からこれが欲しかった。 あまりにたくさん、雑然と並んでいるのを見てやや白けたが、それでも二本、大小を買い求めた。大きい方はシースがベルトと一体になっていて、そのまま腰に巻き付けられるようになっている。小さいのは三日月型のカーブはしていない。刃先のカーブが大きいだけだ。 ハンドルの作りはかなり雑で、うっかりしていると取り忘れのバリで擦り傷をつくりそう。それでもシースやブレードの痛み様を見ると、観光客向けの土産物でないことだけはわかる。このアビシニア高原のどこかで、実用に供されていたことがあるのだろう。それがどのような方法で あったか知りたいものだ。 |
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私がアジスアベバで泊まったホテルは世界的にも名の通った○×トンホテル。しかし、部屋ではダニに食われた。体中にダニの食事の跡が焼き印されてしまった。これはしばらくとれそうにない。売店で買い求めた民族衣装に住み着いていたのかもしれない。これでホテルの中を歩き回っていると従業員達が喜んで話しかけてくる。 彼らの話によると、私が買った民族衣装は南部の部族のものだそうだ。やけにダボダボするので、着ているだけで気持ちがだらけ、とても三日月ナイフを腰に巻く気にならない。これではイカンと、もう一着、ガウンのようなものを入手した。日本の着物と同じようにして着るのだ。やはり世界にはこんな服があるのだ。かなり厚手なので、日本へ帰ってからはバスローブにしている。実に快適である。ダボダボの方はパジャマになった。 |
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日本と似ているのは着物だけではなかった。 親しくなった現地人の家に招待されて田舎道をテクテク歩いていくと、通りがかりの住民がこちらを珍しそうに見ているので、軽く会釈をした。そうするとあちらはかなり丁寧なお辞儀を返してくる。 彼らが私を珍しそうに見るのは、滅多に見かけぬ東洋人だからなのだし、当然、東洋式のお辞儀の習慣など知らないだろう。にもかかわらずあの頭の下げ方は我々の丁寧な挨拶そのものではないか。 「どうなっているのだ?」と友人に尋ねると、 「我々もこういう挨拶をするのだ。ただし、あの挨拶はかなり尊敬される人向けのものだ。おまえはよほど偉くみえるのだろう」と、からかわれた。 |
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その後幾度かこのお辞儀を見かけた。たしかに友人どうしの挨拶にみえたことはない。ことほど左様にウヤウヤシイのだ。 赤道はすぐそばを通っているものの、標高2500mほどの高地にあるため、一年を通じて高原の涼しさが心地よい。空の青さもすがすがしい。原色の羽を自慢げにさらす鳥達のさえずりが朝の耳に清涼感を与えてくれる。アビシニアの王がここに遷都したのは決して気まぐれや偶然ではないだろう。彼はここに楽園をつくろうとしたのだ。 1997年 9月
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