世界ナイフ紀行・特別編
オピネルの騎士の会結成記念大会 
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 熱 海 

(2000年 2月 26、27日)

登戸から小田急線でまずは小田原に着いた。ちょうどお昼時だったので町でウナギを食べ、おはぎをデザートとした。まことに満足のいく内容であった。
急ぐ旅でなし、小田原探索の旅を私はつかの間楽しんだ。小さな市場では魚がうまそうである。
旅の滑り出しは上々。いつかは小田原オフも悪くないな、と思いつつ、刃物屋はないかとウロウロしているうちに、悪い癖で駅からかなり離れてしまった。このままでは熱海到着は夜になると思い、方向転換をする。

熱海は小田原から東海道線各駅停車の下りで5駅目。
ところが4つ目の湯河原で、周りにいた人たちがドドーッとおりてしまい、つられておりた私はそこが熱海だと信じて疑わなかった。駅の外でバスの運転手らしき人に「KKRホテルはどこですか」と聞く。しかし「知らないなぁ」の答え。

湯河原に 熱海のホテルは見あたらず なにごとの不思議なけれど

写真でみたホテルは大きな建物だったので、歩いているうちにわかるだろうとここでも逍遥を開始した。しかし時折見上げてみる建物に「KKR」の文字はない。通りがかりの人も「知らない」というばかり。
なにごとの不思議なけれど。

30分も歩き回るうちにまた駅が見えてきた。観光案内所ならば確実にわかるだろう、と思い、そこへいこうとした、が、その前にあきらめた。駅の看板に「湯河原駅」の4字を発見したのだ。人生とはこんなものである。

その後は当たり前ながらたった一駅で熱海に着いた。ここでも道に迷いかけたが、途中で陽子姫からの電話連絡が入り、事なきを得た。

某大使館にお勤めの陽子姫は、ご母堂である清水市在住の有閑マダム・美千代姫と、二人だけで早々と到着していた。衣装持ちのための爺やの連れもなかった。それは現地調達されるおつもりだったのだろうか?
初対面の美千代姫は翌日が69歳の誕生日とおっしゃるが、驚きの若さである。長嶋流にいえば、いわゆるひとつの69歳である。ややこしくいうならばシックス・ナインである。

午後5時前、私は姫二人をおまもりしながら、これまた初対面の酒道夫妻を迎えに駅まで出向いた。もちろん、連れの爺やとしてではなく、騎士のエスコートのつもりである。
途中で夜の肴を見繕った。どこの「鮮魚店」にも干物しかない。コテージにはオーブンもあるので干物でも焼けるが、やはり私のオピネルさばきを披露するためには刺身でなくてはならない。コンビニくらいの大きさのスーパーで見つけた魚はキントキとアジ。前者は土地の魚だというが、キンメダイの子供のように見える。

駅では名古屋の怪人OL・chipさんと落ち合った。彼女は誰よりも早く到着し、熱海市内を散策していたとか。いつもどおりの巨大な荷物。その中には「いいものが入っている」などと威張り散らす。彼女の手土産はいつも「八丁味噌風味のプレッツェル」とか「トカゲの睾丸のワサビ漬け」などという極めつけの珍味である。どうせまたそのたぐいに違いないと思った私は鼻で笑う。しかしそれは大きな間違いであることが後にわかった。
chipさんと一悶着するうちに酒道夫妻と盲導犬のクレバー、ライサが到着。挨拶もそこそこに我々はホテルへと向かった。酒道氏はかつて、めーぷる女史(ちまたでは、おひねるの愛人ともくされている横浜市の才色兼備の女性)が喝破したとおりの美男子であったが、その奥方・きよみ姫もまた可憐な美女。この二人もまたはるばる名古屋から新幹線に乗り、オピネルの騎士の会結成記念式典に駆けつけてくれたのであった。

6人と2匹でコテージで歓談をはじめるやいなや、ISO氏も到着。参加男性中唯一の独身である彼は、N響のコンサートに連れ立った女性を渋谷へ置き去りにし、今日も一人で現れた。
「どうして彼女を連れてこないんだ?」との問いには、
「女連れで旅行するなんて、弁当もってレストランに行くようなものでしょう」との答え。いつもながら、鼻持ちならない和製カサノヴァである。
いずれにせよ、ここにめでたく7人と二匹が勢揃いしたのであった。

chipさんがコテージで披露した「いいもの」とは、大阪の松井氏(グリコ森永事件の真犯人との噂あり)が今日のために作ってくれた「オピネルもどき」の逸品。ハンドルには不動明王が精緻に刻まれ、ブレードには<TAKASHI>の銘とともにゴキブリとおぼしき虫がエッチングされている。実のところなにの虫か判然としかねるようにしてある。それはボルスターにとまる虫が蠅か蜂かでもめるライヨールの影をその裏にほのめかす、彼一流の洒落だったのだろう。まことに憎い演出といわざるを得ない。
とりあえずナイフは「ゴキネル」と命名された。

              

 見よ これがゴキネルである 

同じく松井氏の手による菩薩の頭の彫刻を手に入れたchipさんはうきうき。満面に笑みを浮かべ、
「松井さんに住所も教えたし、いつ夜這いに来てくれるかしら?」
という淡い希望に、平らな胸を膨らませながら、持ち込みした「トカゲの睾丸のワサビ漬け」をしゃぶるのであった。
一方で3to4(サトシ)氏、hi63(ヒロミ)嬢からの差し入れの、のど飴をしゃぶる人あり。(この二人は岐阜市にて蜂を飼っておられる。オピネルの10本セットを所有し、3to4氏は特大のNo.13購入を虎視眈々と狙ってらっしゃる)
私はのぶさん(愛知県春日井市のキセル愛好家にしてピネラー)に作っていただいた赤いキセルケースから愛用の一本を取り出し、一服。その後、着替えのパンツに巻いてあったオピネルを数本とりだし、魚の捌きに取りかかる。キントキとアジをオピネルフィレで三枚に下ろし、No.12で切り身に。アジはシソの葉と共にたたかれた。

そのあいだ幾人かは、札幌でISO氏によく似た男性との恋に破れたばかりの、MEIさん(美貌のソムリエにして不動産屋)からいただいた酒を酌み交わす。
傍らで美千代姫は若くして逝った河崎氏(福岡出身のピネラー)の冥福を祈り、さらにはめーぷる女史がすすめる「耳パソ」第二章の英語翻訳について皆で論じ、結成記念式典の幕は、不在の面々を肴にしながら、にぎにぎしく切って落とされたのであった。

午後7時半、ホテル二階の小ホールにて、晩餐会が始まった。わずか7人の騎士たちにとっては広すぎる部屋。天井にはシャンデリアが三つ。豪華の一語である。メニューは鯛の鍋、キスの塩焼き、刺身、天ぷら、その他の小品。デザートにはこれまた豪華な季節の果物。我々は時のたつのも忘れて食欲の赴くままに箸を操った。このホテルの総料理長は高名な包丁人・南雲某である、などという話もいつのまにやらどうでもよくなっていた。

食中・食後の歓談が長すぎ、せっかくの風呂に入る時間も怪しくなってきた。酔っぱらわないうちにということで出かけたが、酒道氏を先導するISO氏は、大浴場を目の前にして女湯を目指す。すんでの所で引き留めたが、完全なワープロ世代でもない彼としては、「大欲情」に誤変換されたのだとのいいわけも見苦しい。相変わらずの御乱行である。
これには酒道氏も開いた口がふさがらなかったとのこと。

大浴場にはサウナ、露天風呂もあり、これまた満足のいくものであった。惜しむらくは、曇天のため露天風呂から星空が拝めなかった。されど酒道氏の心眼には満天の星が投影されていたに違いない。

その後の酒盛りもまた大いに盛り上がった。大阪屋長兵衛・大吟醸を飲みながら刺身をつまみ、なぜかクルミのように固い殻を持った不思議な落花生を食べつつ、生八橋に手をのばし、さらには陽子姫持参のバロン・ロトシルトの栓を抜いた。


chipさんと酒道氏は酔いに任せてISO氏の好色ぶりをいびりはじめる。騎士団長の私は内心同調しつつも、立場上それをたしなめるのだが、ISO氏の羊の皮のしたに狼の本性をかぎ取った美千代姫、陽子姫、きよみ姫もまた囃し立て、宴は最高潮を迎える。されど午前二時、睡魔は全員に等しく訪れ、長い宴会は翌日に持ち越されることとなった。



翌朝午前八時、男性陣はまたも大浴場へ。一転して晴天に恵まれ、朝日を映す海を眺めながらの露天風呂でのひととき。潮風の冷たさもまた一興であった。
バイキング形式の朝食をおえ、七人と二匹はまたもひとつのコテージに集合した。昨夜、宴のどさくさで忘れていた記念写真を撮り、午前十時、我々はホテルをあとにした。行き先は言わずとしれたお宮の松。


めーぷる女史を彷彿とさせる美貌のお宮の像を前に、またもご一行は記念写真。その後砂浜でのひとときを楽しむ。
貫一はか弱い女性を下駄で蹴り飛ばす粗暴な人物であるが、なぜか一行からは私に似ているとの声があがった。
私がめーぷる女史を蹴り飛ばすなどあり得ないことである。彼女こそは女の中の女。常日頃、メロンと女は腐りかけが旨いとの持論を公言してはばからない私にとって、永遠のマドンナである。


「かつてここは新婚旅行のメッカであった」とのご指摘が美千代姫からなされた。
「今でもそうではないのか?」という私の疑問は全員から一笑に付された。今時の女性は、
「こんなところに新婚旅行につれてこられたら幻滅よー」とのことであります。独身のISO氏、気をつけましょう。
もっともあなたは、私が河原で焼き肉をしているころ、カナダでオーロラツアーでしたね。独身貴族と貧乏親父との差は、どちらも貧乏親父になるまでは埋まらないことを、私は胸に刻むのでした。


一行はその後、観光名所をめぐるバスの客となる。かつて自殺の名所だったとかいう崖の上のカフェテラスでハーブティーをいただく。特に見るものはないにせよ、軽く潮をふくんだ海風が心地よいひとときを我々にもたらしてくれた。
そしてバスは名高い梅園を目指す。

人人人・・。まがい物の滝、梅干しばかりの土産物屋が客を引く。そこは一転して喧噪が支配する世界だった。しかしながら満開の白・赤の梅を眺めながら、皆で食べた蕎麦、酒道氏と二人で酌み交わした樽酒のうまさはまがい物ではない。これにまさる幸せが人生にあるだろうか。旅のフィナーレを飾るにふさわしい至福のときであった。

また会おう、友よ。それがまた静かな温泉地であれ、河原のBBQであれ、我々にはあのひとときが約束されている。


   
2000年2月
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