ある昼餐




ここは川崎の高層ビル、14階。窓は開かない。

閉め切った窓を通して外を眺めていると、鳩が目の下をよぎる。鳩たちは一生のほとんどの時間を、餌をもとめるか、それを食べることに費やす。たいていの動物はそうだろう。人間もまた例外ではない。

正午少し前になると同じ部屋の人たちが、ぞろぞろとひとつ上の階にあがってゆく。そこでは会社特製の弁当が三種類売られている。松・竹・梅と公称されるが、実際には下・中下・ 特下というべきか。下が480円。中下が420円で、特下が 390円也。

俺はこの8年間、これを食べ続けた。今では中毒のようになっている。毎日その時刻には夢遊病者のように15階にあがっていく。

ある日俺は、噛み切れもしないシワシワの鶏肉をナイフで切り刻み、のどにつかえるひとかけらを無理矢理のみこもうとして涙をこぼした。いや、それは涙ではなく、胃液の逆流だったかもしれない。



そういうわけで、ちかごろはできるだけ15階の弁当を食べないですむ方法を考えている。しかし、ビルの外へでたところで、500円玉ひとつで立派な食事にありつけようはずもない。そして俺は貧乏なのだ。毎日の昼食に千円もかけられない。

今日もまた鳩が飛ぶ。ガラス越しに二羽の鳩が見える。 いや、もう一羽いる。それは窓に映った自分だった。


いつのまにか俺は鳩になっていた。気がつけば昼食の時間だ。

窓は開かない。


俺は二羽のあとを追いたかったが、そうするにはガラスを破って外へ出るしかない。助走を付けるために俺は数歩後ろへ下がった。ガラスに映った自分が小さくなる。
そしてもう一度大きくなったとき、ガラスは粉々に砕け、目の前でうちあげ花火のように飛び散った。 ビル風に乗った俺は滑空を開始した。

前を行く二羽は餌を見つけたらしく急降下しはじめた。新入りの俺はみようみまねでそれにしたがう。翼の角度を変え、はばたきをひかえた。急激に地面が近づくにつれアスファルトに映る自分の影に、はっきりとした形がついてきた。
それは鳩の影ではなく、背広を着たサラリーマンのものだった。


空中でつかの間の夢から覚めた俺に、二度と醒めることのない眠りがせまっていた。


1999年4月

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