糞尿の街 |
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ダッカを「糞尿の街」とよぶ人がいる。黄色い、アンモニア臭の風が吹く街だと。
私がここを訪れたのは11月も末。もう秋といってもよい季節だろう。そのせいか、さほどの臭いは感じなかった。気温もちょうどよいころあい。1週間いても太陽が顔を出すのはまれで、曇り空が多く、暑いという印象は薄かった。雨も降らず、天候に関してだけは快適な日々を過ごせた。 それにつけても人が多い。ジャカルタやホーチミン以上ではなかろうか。排気ガスによる空気の汚染はバンコックと甲乙つけがたい。舗装されていない道のせいで砂埃もひどい。バイクにひかれる三輪タクシーも多く、旧式のエンジンが盛大に有毒ガスをまき散らす。都心部を1時間も歩くと酸欠と騒音でいらいらしてくる。 乞食の多さはエチオピアなみだろうか。その傍らでたまげるような大金持ちも多い。仕事で知り合ったHさんがしきりに嘆くのは、そのことだ。 「ここの大金持ちは、日本人の大金持ちでもできないようなことをしていますよ。庭にゴルフの練習場があったりしましてね。あなたの会社のパートナーであるPさんの家に行ったらたぶん、驚くでしょう」
われわれを乗せた車が信号待ちでとまった。 「ところが見てご覧なさい。こうして車がとまるたびに、乞食が窓をたたくでしょう。一緒にとまっている人力車の運転手達は、一日中働いても食うや食わずです。昔の日本もそうだったかもしれませんが、あなたの国の政治家は、自分の懐だけでなく、庶民の懐のことも考えていたのでしょう。だから今の繁栄があります。しかし、ここでは違います」
この国の製造業で、もっとも盛んなのは縫製業だろう。日本のミシンメーカーもいくつか進出している。そのうちのひとつが、事務員を募集したところ、たった一人の採用枠に数百人の応募があったという。その中には欧米の大学でMBAをとった人まで幾人かいたにも関わらず、初任給は6000タカ(約1万2千円)。ダッカで人並みに暮らしていくにはその倍の収入が必要であろうとのこと。 「失業率が高いんですね」 「高いとか低いとかの問題じゃないんですよ。まともな仕事を持っている人の方がよほど少ない。乞食だって、彼ら自身のせいだけじゃないんですよ。この国には矛盾が多すぎます」 車は広大な敷地の奥にそびえ立つ、国会議事堂の前を通り過ぎた。白亜の大聖堂といった趣である。さすがにこの辺は乞食も少ない。 |
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![]() 立派な議事堂が町外れに建っていた。 |
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レストラン・サクラ |
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一流ホテルの食事はひどかった。衛生面だけは良さそうだが何を食べてもおいしくなく、一流といえるのは値段だけ。 日本を出る前に同僚から、このホテルのそばにある中華料理屋に行けといわれていたので、そうしてみた。その店は、土産物屋がたくさん入っている建物の二階にあった。 この国がかつて東パキスタンとよばれていた頃、それは日本レストランだったそうだ。それで名前も「サクラ」という。しかし今では料理人が中国人か、もしくは中華を作れるバングラデシュ人であるらしく、食材も揃わない和食はメニューにない。いや、お粥くらいはあるようだが、どうせおいしくもないだろうと、最初から中華を頼んだ。これが一番無難らしい。 |
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たしかにランチを食べに行ったときは普通の中華を頼んだのでまずまずだった。それほどまずくないし、値段も程々だ。この国は回教国なので酒を置いている店もほとんどないというが、ここはビールくらいならある。ただしやたらとぬるかった。 二度目に行ったのは夜だった。看板には灯がともっていたが、ガラス越しに見る店内は真っ暗。休業中かと思ったほどだが、外に立つ私に気づいた店員がドアを開け、どうぞどうぞと奥へいざなう。よく見ると天井にわずかに灯りがともっている。窓際の席は街灯のおかげで少しは明るい。電気代をケチっているわけでもなさそうだ。酒を出すから、飲んでいるところを人に見られたくないと言う理由からではないか? と事情通は言っていたが、たしかにそうかもしれない。 ちなみに、回教国であるバングラデシュでは、酒をだしてくれるレストランは少ない。ここは特別の免許を持っているのだそうだ。 暗くてメニューも見えない、と文句を言ったら蝋燭を灰皿に立てて持ってきてくれた。他の席にはそれさえない。一体どういう人たちが食事をしているのか、顔と言うよりも、その素性が気になってきた。本当に酒のせいなのだろうか? などと思ってメニューを読んでいると、中華以外にもいくつかの西洋料理が目に付いた。なんと、スパゲティ・ヴォロニエーズなんてものまである。こういう店で、こういうメニューとは、いかがわしさも極まった、という気がしないでもないが、怖いもの見たさにこれを注文した。 |
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![]() どうしてこんなに暗くしているのかな? |
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待つことしばし。出てきたものは、予想を遙かに上回るいかがわしさ。蝋燭の明かりでよくよく見ると、麺が縮れている。まるでラーメンのようだ。いや、それは本当にラーメンなのだ。昼間は焼きそばとして食べたものが、今回は上にミートソースを載せ、スパゲティ・ヴォロニエーズとして供される。 私のサクラ通いはそれが最後となった。メニューにマトンと書かれているものが、犬の肉ではないかと思えてきたのだ。 |
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もう、ことばもない・・・
蝋燭の明かりで撮った写真にしてはいい出来だと思うが・・・。 |
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グッドマン | |||||||||||||||||||||||||
Hさんの話では、バングラデシュには基本的に包丁というものはないらしい。そのかわり、床に立てた大きなサーベルのようなものに肉や魚、野菜を押しつけて切る。生鮮市場にもこれがたくさん立っていた。そばを歩いて転んだり、足を引っかけたりしたら大変なことになるだろう。南アジアにはこういう場所が他にもあるらしい。インドの一部もそうだとか聞いた。 それでも料理には小型の包丁を使う家もあるという。教えてくれたのはグッドマン。半日だけ雇ったガイドだ。 グッドマンの本名は知らない。まだ20代半ばらしき男だ。ホテルの門の脇で、カモを物色していた彼の目にとまったのが私だった。その日は午前中で仕事が終わり、私は半日暇だった。 「やぁ、日本人でしょう? 私が街を案内しましょう」 最初からただのガイドではなさそうな雰囲気だった。無視していればやがてあきらめるだろうと思っていたが、なかなかしぶとい。15分も歩いただろうか。マーケットの露天をくまなく見ても中国製の包丁しか見あたらないので、本当にこの男をガイドとして雇うことにしてみた。 「私は包丁を探しているんだけど、ある場所を知っているかい?」 「えぇ、もちろん。ちょっと遠いですが、鍛冶屋が並んでいる市場がありますよ。なんならオーダーメイドだってできるでしょう」 それは耳寄りだ。オーダーまでしなくても、手頃な包丁くらいはあるだろう。あとで揉めないように、ガイド料も今のうちに決めておこう。 「ガイド料としていくら欲しい?」 「それは旦那の気持ち次第で…。それよりも、どうですか、マッサージの上手な女性がいるのですけど、 興味はありませんか?」 やはり本業はポン引きだった。 「そんな暇はないね。さっさと鍛冶屋へ案内してくれよ」 「旦那はどうしてナイフなんて欲しがるんです? それでいったいなにをするんですか?」 私はなにも言わず二本の指を立てて、男の腹に突き刺す真似をした。 「へ・へ・へ…。僕を殺すためですか? どうして? どうして僕を殺すの?」 「おまえが女を売っているからだ」 「いや、僕はただのガイドですよ。女性のところに案内するだけの…」 「それを私の国では Ponbiki というんだ。あまりほめられた仕事じゃない。おまえは悪人だ」 「悪人だなんて冗談じゃありません。僕は貧しい娘達のために仕事を世話しているんです。そして日本や中国から来てくれるお客さんには、楽しいひとときを過ごしてもらえるんです。そうそう、だからみんなは僕のことをグッドマンとよんでくれるんですよ」 「ほう、グッドマンか、いい名前だな。ところでグッドマン、ガイド料だが…、気持ちだけでいいとか言ったな。私の気持ちは100タカ(200円ほど)だけど、それでいいかな?」 「いや…その、旦那の気持ちがそれほどcheapだとは信じられません」 「いくら欲しい?」 結局半日で500タカ払うことにした。Hさんの話では人並みの生活をするには一日あたりこれくらいは必要だということだ。英語の達者なガイドならもっと多いだろうが、実働は半日だし、ここいらが落としどころだろう。 しかし、この男のいいわけもまんざらでたらめではないだろう。学校にも行けなかったスラムの若い女性達が、乞食もせずに飢えをしのごうと思うと、体を売るのが手っ取り早い。そして外国からの客には、それを望む買い手が多いのも事実だ。そしてダッカにはなかなか魅力的な顔立ちをしている女性も多い。 おやおや、私も妙な気持ちを起こしているのだろうか?
市場にはたしかに鍛冶屋が何軒も並んでいた。鎌や鍬が多いのは首都のダッカでも農地が所々にあるからだろう。大工道具も色々揃っている。包丁はたしかに少なくて、大きさも形も決まり切っているが、なかなか切れそうだ。ただし、最初から錆びたものが多い。二本だけ買ってみた。すべて鋼の一体成形。スローイングにも使えそうだ。
グッドマンに連れられて、魚屋で床に立てた大包丁の実演を見学した。本当によく切れるので見ていてちょっと怖い。カメラを向けるとポーズをとる魚屋もいる。よそ見をすると危なそうだが。 市場の店員からはしきりにあれこれすすめられるが、ホテル住まいの身ではなにも買えない。しかし、写真撮影の礼になにか買って、大家族だというグッドマンの土産として持っていかせる手だても考えてみた。
すぐそばには肉屋もあり、そちらものぞいてみようと思って歩いていくと、その肉屋の店員が手招きする。彼が私に買って行けと指さしたのは、ずらりと並んだ山羊の生首だった。首はすべてむこうを向いていたので、遠くからでは何かわからなかったのだ。 すぐそばで見る10個あまりの山羊の首は私の全身の毛を逆立てた。敵もどうやらそれが狙いだったらしく、私の引きつった表情を見て手を叩いて大笑いしている。まことに悪趣味としか言いようがない。
ダッカの生鮮市場の肉屋は、その場で殺した動物の肉を売っていた。片隅には、解体されるのを待つたくさんの山羊達がひもでつながれている。売場の横では、鍵につり下げられた山羊が、皮をはがれているところだった。特にナイフは使わず、手さばきではいでいるようだった。 「おい、グッドマン。気分が悪くなった。そろそろ帰るよ」 騒音と、埃と、排気ガスの渦巻く中、私たちはホテルにたどり着いた。グッドマンの家も同じ方向だというので一緒にここまで来た。門のところで500タカを渡すと、ガイドが必要なときはまた雇ってくださいと言って手を振りながら消えていった。
数日たって私は深夜の飛行機で帰国しようとしていた。その夕方、最後の食事に出ようと、Hさんに教えられたサクラではない、もう少しまともな中華レストランへ向かおうとした。歩いて10分ほどのところだ。 門を出て塀の前を歩いていくと、グッドマンが歩道の隅にしゃがんで、バラの花を束ねているのが見えた。この塀の前にはいつも、幾人ものスラムの少女達が通行人にバラを売っているのだ。今日はそこに少女だけでなく、母親らしい人と、なぜかグッドマンもいる。 「おーい、グッドマン。なにしてるんだ」 「あ、いやー、この間はどうも。実はこれが僕の母親です。こっちの小さいのは妹、それと弟。もう日が暮れるので店じまいですよ。知ってますか? 昨日からラマダンが始まったんです」 私に幾度かバラの花を買ってくれとせがんでいた10歳くらいの少女は、なんとグッドマンの妹だった。私がたった一度だけ買って、部屋のコップにいけてあるのは、彼女から買ったものだった。
「家族が多いといったでしょう。あの500タカはありがたかったんです。また雇ってもらえるとうれしいんですけど…」 「すまないが今日はそこのレストランに行くだけだ。それと、今夜の飛行機で帰るんだ。来年また来るよ。そのときにでもまた頼もうか」 「ありがたいです。僕もつい先日まではもう一つの高級ホテルのマネージャーだったオーストラリア人に雇われていたんですが、彼が国へ帰ってしまって、僕もすぐにクビになりました。彼のおかげで英語だけはできるようになったんで、 外国人のためのガイドはできるんですが、暇なときはこうやって花を仕入れてきて、母親や妹たちに売らせているんですよ」 「妹や弟は学校へ行かせた方がいいな」 「たしかに小学校は無料ですけど、教科書や服は買わねばなりません。父親もいないし、僕の稼ぎさえよければ…」 |
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日本からの政府間援助もここ数年、下火になってきているという。賄賂なしでは機能しなくなっている政財界の腐敗がそれを食い物にしているらしく、どれほど投資しても思うように効果は上がらないようだ。 よい男・グッドマンがポン引きをしなければならないという矛盾を抱えたまま、この国は出口のない闇をさまよいつづける。
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2000年 11月 |
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