私が海外に出ると刃物を買い漁るのは一部では有名になっております。だからこそ、「世界ナイフ紀行」などという企画がなりたつわけでございます。一方で、会社の同僚には○×△を買い漁る人もおります。どちらが危ないか、議論の余地があるところです。

 私も○×△が嫌いというわけではありません。しかし関西在住のとあるナイフマンは、いとしいコイさんさえ置き去りにして、包丁一本さらしに巻いて旅に出てしまったのです。私もどちらかというとそのクチかもしれません。


 とはいえ、私も○×△に全く興味がないわけでもなく、街できれいな○×△を見かけると、ついついカメラを向けたりもします。これが男の人生というものではないでしょうか?

 このページには、その世界各地の○×△・・・(なんだかこう書くととてもやましく思えますね。やめましょう) その、世界各地の美女達をご紹介したく思います。

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ロシア ミャンマー インドネシア ベトナム
ホーチミン
ベトナム
ハノイ
エチオピア ラオス スリランカ エジプト バングラデシュ
番外編 I




エチオピア

シバの女王で有名なエチオピア人は、ソマリア人などと同様に
肌の色こそ黒いですが、顔立ちはどこか西洋人風です。
ユダヤの血が色濃いためともいわれているようですが、
宗教はキリスト教の一派であるコプト教が多数派。


世界的に有名な[H]ホテルの客室にはダニが出ます。旅行客の皆様、気をつけてください。
しかしロビーには、無料でコーヒーのサービスをする美女がおりました。

二度目にいったとき、彼女はイタリアに出稼ぎに行って、留守でした。残念です。

彼女が日差しの強い中庭を散歩していたときの情景が忘れられません。
この白い衣装が透けて、黒檀の彫像のような姿態が私の目を、日差し以上の強烈さで襲ったのです。



はぁ、いいものを見た。





彼女の友人達です。

仕事で関わったエチオピアギャル達。まことに積極的でした。いえ、私じゃなくて、彼女たちが・・・。イヤ、ホント。
右端の写真は、特に親しくなったKidist 。美しいです。たまにはこういう役得があってもよいでしょう。



当地で親しくなった友人の娘さん。
食事の前後に手荒い用の水差しをもって出てきました。まだ8歳だったかな?
野点で、コーヒーを温めているお姉さん。
エチオピア風のお茶会はいいものですよ。
民家を改造したナイトクラブには、すばらしい踊り子がいました。




ハノイ

ハノイこそは美女の宝庫でした。
これほどとは、予想だにしなかったなー。
とても楽しい街だった。満足した。
とくとご覧ください。



無茶苦茶かわいいズィエッブ

右はホテルのメイドさん。

日本の女優さんに
こんな人がいるでしょう。

なんて名前でしたかね。

可憐であります。
キャリアウーマン志願のヒュイン。
なかなか職業に対する意識が高い。

シンガポールからきた上司に
きつい指導を受けていたが、
頑張って耐えていた。
下は大顰蹙シリーズ。自分でさえ恥ずかしい。










上は仕事バリバリのハーさん。
日本人のサラリーマンからは「生意気だ」とか
言われてましたが、私は彼女が大好き。







ハノイ美女の決定版!
という感じの市場の美少女。
「犬肉2ドルぶんお願いね」と注文して、
カメラを向けると恥ずかしそうに微笑みながら、
ローストされた犬を大きな包丁で一刀両断しました。
彼女自身は本当に可愛らしいのですが、
それだけに怖かった。





ホーチミン
ちょっとした行事があり、アオザイを着た少女達とお近づきになった。
やはりベトナムギャルはこれで決まりです。


ホーチミンには日本料理の店がたくさんあります。
居酒屋風の店でお運びをしている少女達は、日本語も上手です。
いつかは日本へ行って働きたいとか言ってましたが、まぁ、おすすめできませんねぇ。

なまじ器量のいい子ばかりだったし、危ないんじゃないでしょうか?


この人はホテルの従業員。
なかなか愛嬌があって良かったです。


「ナイフ紀行」本編にも出てくるナイフ屋のおばちゃん。
(おねっぇちゃんかな?}
ついでに掲載というかんじです。




インドネシア
 インドネシアはそれほどでもないのですが、チャドルをかぶった女性、つまりイスラム教徒の女性と親しくなるのは難しいです。
 なったらなったで大変かもしれません。女性は男性の従属物であると考える人たちも多いようですから。コーランにそのようなことが書いてあるのでしょうか?
 しかし、一般の家庭の中では、日本人の家とあまり変わらない人間関係があるようです。人間社会の原理とはそういうものなんでしょうね。
もちろん、すべての女性がチャドルをかぶっているわけではありません。
むしろ少数派かな?



 

ミャンマー

 ここの女性達の名前は、レレ・チューとか、ミエンミエン・タン、ヌーヌー・セイン、ジージー・ルエーなどと、どういうワケか同じ音が二つ続き、最後に苗字がひとつポツンとついてくることが多いようです。

 行ったのはたった一度きりですが、滞在期間が長かったうえに、比較的暇もあったので、逗留したホテルで働いていた女性(むしろ女の子)達と仲良くなりました。そのためでしょうか、東南アジアでもっとも好きな国であります。



 
 ミエンミエン・タンはほとんど言葉が通じませんでした。そのおかげというべきか、私のミャンマー語学習の良き先生でした。

 写真では私が夜会に出かけるため、現地風の正装をするのをかいがいしく手伝ってくれてます。

 人なつっこさは誰よりもあったのですが、言葉が通じないことが苦痛だったらしく、暇を見て英語の勉強をするようになりました。
今頃は上達していることでしょう。
   上がかわいいレレ・チュー
私がミャンマーを離れるとき、左のミエンミエン・タンと二人で、泣いてくれました。

 私の顔には彼女たちが使う白粉のようなものが塗ってあります。
 暑いときに塗るとスッとするのですが、それは水分を含んでいるときだけで、乾くとただ白い泥のようです。



 右はホテルの女支配人と、従業員の一人。
 支配人はやたらと太った、普通のおばさんのように写ってしまいましたが、実物はとてもきれいな、太ったおばさんです。

 当時のミャンマーは普通の人は海外渡航を禁止されていましたが、彼女は驚くほど外国の事情に通じた人で、英語だけでなくドイツ語までできました。謎の美女であります。
 いろいろな意味で魅力的で、レレ・チューをのぞけば、私にとっては最高のミャンマー女性でした。





暇な時は、ホテルの従業員達と遊んでました。
ピンぼけ写真も良い思い出です。

レレ・チューのお姉さんはとても優しい少女でした。



ロシア

現状では混乱状態にある国ですが、かつての大国の誇りを持った人たちが多いです。
親日的な人が多いことにも驚かされました。
ウラジオストックのスヴェトラーナもそういう人でした。
ただ彼女の場合、大国の、というよりは、ロシア人としての誇りに満ちた女性でした。


<ウラジオストック>

 返す返すも彼女はすばらしいロシア女性でした。
 ロシア語がさっぱりの私のための通訳として働いてくれた人です。

 こういう人に会うと、その国が好きになります。ロシアは良いところです。




 ちょっとだけ気がかりなのは、私の英語がつたないばかりに、彼女の自尊心をいささか傷つけたことがあったのではないかということです。杞憂であることを祈っておりますが。

 コミュニケーケションに齟齬があると思われたときには、その場で修復しないことには、手遅れになりますね。

 彼女は日本へ来たこともあります。寿司がおいしかったとか言って喜んでました。
 次回に会うときは、彼女手作りのボルシチをごちそうになる約束なのですが、残念ながらまだ実現してません。


<ハバロフスク>

 たまたま知り合った、極東大学日本語学科の学生達。
 どこの国の女子大生も似たようなものですが、勉強はよくしているようです。驚くほど流ちょうな日本語を話しました。

 右の写真はなんだか女子大生サロンに行ったみたいな感じですが、これは普通の喫茶店です。
 誤解なきよう。





<バシュコルトスタン共和国>


 この国は正確にはロシアではありません。かつてのソ連邦の一員で、今は中央アジアの独立国です。

 首都のウーファで知り合ったオルガさん。

 バシュコルトスタンはトルコ系の国ですから、この人もその血が混ざっているのでしょうか? 純粋な白系ロシア人には見えませんでした。

 ま、こんなにきれいならなんでもいいです。しかも優しい人でした。お別れの日には、空港まで見送りに来てくれて、ウーファ特産の蜂蜜をお土産にくれました。


 蜜のように甘い想い出でございます。へらへら。


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