私が始めてイランの地を踏んだのはイイ戦争が終わり数年ののち、町のあちこちに雪も残る三月、ラマダンの直前だった。首都テヘランは高地にあるためか東京よりも肌寒iかった。 「!**!&=$”#□×|¥・・、~ @¥%△=!」 軽く腕をとられ、ロビーに連れ戻された私は、ここで吸えと灰皿の前に立たされた。怒られたというわけではない。皆の顔は笑っていた。さすがに外国人慣れした都会のイラン人である。
「しょーもないやっちゃなー」 という感じであった。このホテルは従業員のヒトがとても良く、言葉が殆ど通じないことを除けば申し分ない居心地であった。例によってホテル内の食事ではわけの分からぬ物ばかりが目の前に並び、近くのイラン人に食べ方を教わる。菓子パンは驚くほどおいしい。が、私の連れは、イラン人ばかりの客層に怯えてレストランにさえ来れず、 「外国人の多い高級ホテルに移りたい」 と言いだしたために2泊ほどで出ることとなった。 |
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”高級ホテル”は市の中心部から車で30分ほどかかる、町外れの高台にある、かつてのヒルトンホテル・テヘランであった。なるほど昔の栄華がしのばれる造りである。 そのベランダからは4〜5千メートル級の山脈が遠くに見える。別の窓からはもっと近くに見える山があった。雪を頂いた山脈がこちらへ覆いかぶさってくるかのような威圧感をいだかせる。 |
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夜になって驚いた。空に巨大な光のかたまりが見えるのだ。昔、SF映画でみたナンダカの帝国が、今このテヘラン市上空に現れたか?しかし、それはよくよく見れば、山の中腹にできた集落の明かりであった。 その位置は海抜3千メートルに近く、そばにはスキー場もあるという。山脈の向こう側にはカスピ海が広がり、山脈の西の果てには旧訳聖書にでてくるアララト山もある。なにもかもがイランだった。 ところでここのホテルの一階には古美術店があり、私の目当てのペルシャナイフも数点飾られていた。 |
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フランスのテレビの有名なニュースキャスターが、イイ戦争たけなわのころ、 「イラクが勝てばフセインの扱いにますます困ることとなりますが、イランが勝てばそれこそ西欧社会にとって"カタストロフィック"です」 と言っていたのを思い出す。なぜそうなのか、取り立てて説明はない。自明だからだろう。 フランス人にとって、特にラテン系の人々にとっては、カトリック教そのものが内包する宗教的偏見が、そのまま社会的同意を得てしまうようだ。それは日頃宗教とは無縁の者の心にまでしみ込んでいる。回教が彼らにとってのアンチテーゼだったのはシャルマーニュ大帝の時代で終わりかと思ったら、さにあらず。相変わらず回教徒を敵視、蔑視する姿勢は折にふれ露となる。 キリスト教に大きな影響は受けていない日本人は、イスラム原理主義の国イランに対する彼らのバイアスとは無縁で、これまた異端視されながら、友好国としてイランと付き合っている。そのおかげで私もこの地を会社の費用で訪れることができたのだった。 しかし、彼らのヒトの良さはどうだ。ペルシャ語は話せず、イラン紙幣の金額も分からない私が買った煙草の釣り銭を、走って追いかけてきて手渡してくれる。夜中にテヘラン市内の繁華街をふらふらしていても何の心配もない。 イランには限らず、回教の戒律が厳しく守られている国は何処もそうらしい。しかし、キリスト教文明国を自認する西欧に、このようなことは望めない。アメリカやヨーロッパの都会は、泥棒と人殺しと麻薬で溢れかえっている。 どちらが文明国なのか、彼ら自身の定義によっても明らかだろう。私は断じてイスラムのかたを持つ。 それにつけてもテヘランで知り合った女性達は、まことに美しかったです。今回は仕事で、ペルシャ人とアルメニア人の二人連れとお近づきになる機会に恵まれました。そのペルシャ人の美しさにはため息も漏れるほどでしたが、もう一人のアルメニア女性の可憐さにも、心奪われました。大変残念なことに、イラン国内は滅多なことではカメラを使えず、女性達の写真を撮ろうものなら、うるさいひとが出てこないとも限りません。そういう点では、文明国とは言い難いのかな? テヘラン市内だと外出時に顔を隠す女性はほとんど見かけませんが、田舎の方にいくと、目しか見せていない人が多いそうです。カトリック教徒だというアルメニアの女性も、もちろん顔は隠してませんでした。しかし灰色のチャドルを上から下まですっぽりとかぶってますから、なんだかネズミ男みたいな感じです。 もちろん、回教徒でもない彼女がそうしたくてしているわけではないです。しかし、回りにあわせておく必要があるみたいですね。人種や宗教による制度的な差別はないようですが、そのへんは不自由といえば不自由でしょう。回教徒の女性達はどう考えているのでしょうかね。 話が大きくそれた。これはナイフ紀行です。 |
その三 ペルシャナイフ |
回教国のラマダンは日本で言えば正月のようなもの。どこもかしこも休みとなるので、なんとか仕事はその前に終えた。一緒に来た連れは一足先に日本へ帰るのでホテルで見送り、残る仕事はナイフ探しだ。 日本で使う数字をアラビア数字と呼ぶが、不思議なことにこれはアラブ世界では通用しない。「○」を書けばゼロではなく5だ。ゼロは「・」であり、形から見当がつくのは1だけ。これでは買い物もママならない。四苦八苦して爪切りを買い、最上階まで昇っていくと暗幕を張った一角があった。日本のデパートならばこういうところで絵や骨董品の展示会をしているものだ。そう思って幕の向こうに入ろうとすると、遠くでイラン人の一団がこちらを指差し大声をあげている。どうしたことかと思いながらも中を見てびっくり。そこは婦人用下着売り場であった。日本女性のもとのは多少形が違うため |
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結局ナイフはヒルトンホテルの一階の店で買った。 いかにもイランらしい骨董品が並ぶ広い店に、英語もフランス語も流暢に話す店主が一人で居た。値札もちゃんと”アラビア数字”で書いてある。こういう外国人観光客相手の店は当然値段は高い。欲しかった三日月ナイフは手がでず、ダガーは成田の税関でもめそう。買えそうな値段ですんなり持ち帰れそうなものは多くない。 私が選んだのは、水牛の骨のハンドルにこまごまとした模様が描かれていて、刃渡りは10センチほどの一本。幅の広いステンレスの両刃、ミラーフィニッシュ。反りはないが、エッジは先端にかけて大きくカーブしている。みかけはチャチだが、ズシリとくる重さが辛うじてそれを救っている。黒いレザーのシースにはやはりオモチャぽい刺繍が入っている。 このナイフは日本へ帰ってきてからは包丁として役にたつこととなった。 |
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ところであの三日月刀は一体どういう理由であのような形をしているのだろう。私の大好きな映画「風とライオン」の中でショーン・コネリーは、あの三日月刀を特大にしたようなサーベルの一撃で人の首をはねていたが、使い方は日本刀のそれと似ている。ということは、反りも日本刀と同じ理由でついているのだろうか。つまり折れにくく、かつ、撫で切るために。材質はやはり炭素鋼だろうか。いずれナイフくらいは手に入れて、鋼材の正体を明らかにしたい。 しかし、三日月ナイフが欲しかったな〜。イエメンあたりの田舎では、あれをベルトにさしているのが一人前の男の証らしく、装飾品としての役割が大きいようだ。もちろん実用的な意味もないはずはない。牧畜民族なのだから、あるとすればその方面なのだろう。それとも武士の脇差しのように、有事の対人用武器なのか。 |
その四 人生なんてインシャラー |
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外国でナイフを買うと、いつも帰り道にドキドキすることになる。 「?!>$$#?__¥々)’%_<%””#=!?」 しかし、白ラクダにまたがった王子様が私を救いにやってきた。それは私のすぐ後ろにならんでいた、英語の流暢なイラン人だった。どこかフリオ・イグレシアスに似た優男だった。 「::}@(>々$々$#;^‘、%$|^」 それに納得したかフセインはブツブツ言いながらも許してくれた。大体、マシンガンをぶらさげた警察だらけの空港内で、ナイフ一本で私が一体、何をするのだ。腹でも切るか? とにかく最後のゲートをくぐるまで大変な時間がかかる。ロンドン行きの便には多くの外国人が乗り込むが、ほとんど誰もペルシャ語は理解せず、イランへ来たのもはじめての人ばかりで、この空港の出国手続きの煩わしさにはネをあげた。 |