世界ナイフ紀行 極東ロシア編
 
極東ロシア無法地帯をゆく
 
その一 霧のウラジオストック

 

  犬の死体が道ばたに転がっている。去年行った中央シベリアでは見なかった光景だ。あそこは寒すぎて森の中で犬や猫は冬を越せない。ここはまるで北海道のようだ。海岸の景色は旅行のパンフで見た能登か富山の海岸によく似ている。新潟からわずか1時間ほど。日本海を挟んでお隣ならば当然のことか。それにしても霧が深い。空港をでてから田舎道を走る車はずっと霧の中だ。今回の仕事の成りゆきを暗示しているのか。

  意外にも仕事の滑り出しは上々。余勢を駆ってナイフ探しとしゃれ込んだ。現地社員の案内で出かけた狩猟道具屋は、かなりいかがわしげな通りにある。ドルがそのままでは使えないので、闇の両替商に頼もうとやってきた、あやしげな街角の一角にそれはあった。おあつらえ向きの場所ではあるが、お巡りさんが多すぎる。両替は後回しにしてとにかく中へはいる。

  おい、これは本当に「狩猟道具」なのか? 自動小銃でいったいなにを撃つんだ。あのワルサーPー38は鳥撃ち用か? トカレフは?まぁいい。俺の知ったことではない。とにかくナイフを見る。
  おぉっ! あの値札は何だ。ロシアの通貨は空前の切り下げが進み、かつて1ドル=0.6ルーブルであったものが今や5000ルーブル。それにしても極端だ。アジーン、ドヴァー・・ゼロの数を勘定する。どうやらそれは日本円にすると50万円! 嘘でしょう。なにっ、間違いないって!? ここは労働者の平均月収が1〜2万円の国。いったい誰がこんなナイフを買うのだ。日本から輸入した中古車で儲けたマフィアの親分さんか。

  いずれにせよこのナイフ、おそらくドイツかアメリカからの輸入品だろう。なにっ、ロシア製?どこで造ってるの ?ほう、モスクワの南にある、銃器作りで有名な○×△ですか。うーんさすが、何処の国にもそういう町はあるのだな。お金持ちになって出直そう。

  いや待て、ほかにも色々あるじゃないか。これもいい、あれもいい。しかも安い。一本1000円もしない。よし、このへんを1ダースほどください。
  えっ! サーティフィケートがないとダメだって。なにそれ? 狩猟クラブのメンバーでなきゃダメだって。そうですか、日本人も狩猟クラブにさえ入ればいいわけですか。わかりました。今回はあきらめましょう。いずれ駐在員にでもなったらカニの輸出のアルバイトでもやって大もうけして、例の○×△のナイフを買ってやる。もちろんサーティフィケートをもって舞い戻るさ。それまで待ってろよ。おまえは俺のもんだぜ。必ず迎えにきてやる。
 次の訪問地はハバロフスク。町によって法律が違うのは珍しくもないロシアのこと、安くて気の利いたナイフが私を待っているかもしれない。

 よく落ちると評判のヤコブレフ双発ジェット機が私の体を飲み込む。正直なところ、これにだけは乗りたくなかった。帰りは何がなんでもシベリア鉄道を使おうと心に誓う私であった。
 
(写真)ウラジオストックの湾を丘の上から見渡す。軍艦がたくさんならんでいる(写真)


その二  ハバロフスクに消えた大東亜の夢

 
 私の泊まるホテルの窓から見える木造の民家は、故郷の北海道に昔よくあったタイプと似ている。その近辺の煉瓦作りの家もそうだ。それもそのはず、この辺には日本人が作った家はごろごろしている。戦後の抑留者が作っただけではなく、1920〜24 年にかけてここいらにあった"極東共和国"の名残だという。
 すっかり忘れていたが、高校の頃歴史で習ったことを思い出した。ロシア革命のどさくさにまぎれてシベリア出兵した日本がつくった "極東共和国" 。

(写真)ハバロフスクの市場の肉屋さん。牛の頭がどさっと載ったテーブルがあった(写真)










 ハバロフスクでは戦争博物館を訪ねた。
「おまえ、本当に仕事してきたんか?」と言われそうだが、これも仕事の一環である。市場調査を広範囲に行ったわけなのである。

 さすがに武器ばかりが並んでいる。ナイフも結構ある。いや、ナイフというよりは銃剣の類か。ロシアやドイツ製の小銃につける銃剣は、平たい剣ではなく先のとがったキリのようなものが多い。フェンシングの国の銃剣はこういうものか。突くことを考えればこの方が合理的だろうね。村田銃の銃剣まで飾ってある。
 極東地方の博物館だけあって、日露戦争や第二次大戦の遺物が多い。しかし展示物はそれだけではなかった。日本軍のシベリア出兵はこの地方に大きな傷跡を残していた。日本軍の砲撃を受け燃え上がるハバロフスクやイルクーツクの街の写真。例によって各地での住民虐殺。なるほど、これでは不可侵条約を破ったとか北方領土を不法占拠したと非難しても悪びれるわけもない。北方領土返還を叫ぶ前にこちらにもするべきことがあるらしい。現地まで来ると日本のマスコミの意図的な怠慢が丸見えだ。
(写真)第二次大戦の名戦車T-34の砲塔に寄りかかり、土地の子供達と一緒に撮す(写真)


 博物館の中庭には伝説の名戦車 Tー34、も展示してある。砲塔によじ登り土地の子供たちと記念写真を撮った。
 私の叔父をアムール河畔で蹴散らしたかもしれない鉄の無限軌道も、ここで朽ちていくのか。
 安らかに眠れ。


  さて、この博物館は実によくできている。一通り見渡して出ていこうとすると、出口付近にちゃんと土産物屋があるのだ。おぉっ、やはりある。ハッとするほどのダガーが。しかも所持許可証も必要ない。しかし高い。$ 400。いくら円高とはいえこれは辛い。
  残されたチャンスは、最果てのアムール州、ブラゴベシチェンスクのみとなった。又もよく落ちることで大評判の、ヤコブレフ40型飛行機に乗り込んだ私は恐ろしさのあまり眠ったふりをするのであった。



その三  吹雪のブラゴベシチェンスク

  アムール州の州都・ブラゴベシチェンスクまではハバロフスクから飛行機で1時間と少し。ヤコブレフ40が到着したのは吹雪の中、夜の10時くらい。空港に着くといきなり警察に呼び止められ、パスポート検査。同行したロシア人の通訳のおかげで難なく通り抜けたが、空港からホテルへ向かう途中、道ばたで検問をする国境警備隊にまたもパスポートを見せろと言われる。何やら悪い予感がしてくる。それほど危険なところなのか、ここは。

 
 アムール川が旧満州とこのアムール州を隔てている。最近は国境貿易が盛んでヴィザ無しで交流していたというが、中国製の粗悪な酒のせいでロシア人が何人か死んで以来それも下火となり、中国人の密入国者に神経質になっているらしい。
(写真)アムール河畔にたたずむ筆者。広い川の向こうに中国の黒河の町が見える(写真)
  ホテルのロビーでも2度ばかり呼び止められた。部屋の鍵を見せて納得させたが、それ以来めんどうなので部屋からは出なくなった。

   しかし第一印象とは裏腹に、ここはウラジオやハバロフスクに比べるとよほど治安はよいらしい。確かに夜遅くに女性の一人歩きを見かけた。こんなことはモスクワでもなかった。
  極東は治安の悪さではモスクワよりもまだひどいことで有名だ。それでもウラジオはしばらく前から有力なマフィアのボスが町をとりしきり、たちの悪いちんぴらはめっきり少なくなったという。ハバロフスクも最近ナンダカビッチ親分が統一を果たし安定してきたようだ。役に立たない警察よりも、よほどましだと住民たちも喜んで(?)いる。ここいらで本当の無法地帯はナホトカだけになったと、ウラジオ在住の日本人は言っていた。それでも彼は運転手にピストルを持たせている。少し前は自分でも持ち歩いていたという。

   ピストルが当たり前のよ うに出回っている状況でも、狩猟用ナイフが所持許可証を必要とするのは、密猟の取り締まりのためなのだろう。極東ロシアでは森の中に今でも虎が住み、アムール州の草原にも狼がいる。ほかにも絶滅しかけている動物が多いのだが、それらの毛皮一枚が、彼らの年収をはるかに越える値段で取引されたりする。やはりこの州も所持許可証が必要なのだ。さて、そうなるとアーミーナイフくらいしか手に入りそうもない。

(写真)ロシア製アーミーナイフ。青いハンドルから、ブレードや缶切りがでている(写真)(写真)お尻の部分のアップ。これが散弾銃の薬彊を取り出すための金具らしい(写真)   仕事を終えた後、幸いにも客が市内観光に連れていってくれると言うので、
「ロシアナイフがほしいのでその筋の店に連れていってくれ」と甘えると、背広を着たシロクマのようなオヤジが、
「それなら、俺のをやるよ」と背広のポケットから年季の入ったのを一本取り出した。たしかにCCCPのマーク入りのアーミーナイフ。しかもほかでは見たこともないような金具がお尻に付いている。これはなにかと訪ねると、
「ライフル銃のナンダカをカンダカするための金具だ」との返答。通訳も説明しかね、未だにナンダカわからない。彼の説明の時の手つきと、形状から判断するところ、銃尾に残った空のカートリッジを引っぱり出すものではないかと思われる。(お心当たりのある方は教えてください。コの字型の金具の対が、散弾銃のカートリッジの直径ほどの間隔で向かい合っています)。
 日本人を見るのが初めてという彼らは私のホラ話をおもしろがり、親切にも家にまで招待してくれると言っていたが、残念ながらその時間はなく、次回の訪問時におかえしの肥後の守でも持参して、それに応じようかと思います。結局今回の旅の成果はロシア製アーミーナイフが一本でした。
(写真)ハバロフスクの駅にて。別れを惜しむ人たちが3人で、抱き合って泣きながら歌っている。写真を撮ったら声を上げて喜んだが、なにを言っているのかわからなかった(写真)



    1995年4月