ル・プロヴァンサル |
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かつてのフランス植民地は一様に食の遺産を受け継いでいる。 そういう国でその土地の料理が口に合わないとか、衛生状態、または店の従業員とのコミュニケーションに問題があるときは、フランスレストランに入ることにしている。 ビエンチャンにはプロヴァンス料理の専門店があった。その名も”Le Provencal”。当然なんでもかんでもニンニクが効いている。 |
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サラダの項目に牛タンサラダがあったのでこれをとることにした。メインは
Poulet(鶏)のトマトソース煮。スープはやめておいた。普通の日本人がたべられる量はこんなものだ。ただしお約束の
Ricard(リカール)のオンザロックを食前酒にとる。 牛タンサラダは私の予想をさらに超え、超大盛り。普通の日本人ならこれだけで満腹ではないか? 薄切りの牛タンスモーク、酢漬けの小タマネギ、レタス、トマト、フレンチポテト、etc...。これらをガーリックオイルで軽く炒めてある。 次の鶏のトマトソース煮をまともに食べたければ少し残さなければならないと思いながらも、あまりのうまさに結局すべてたいらげる。当然、鶏は半分しか食べられなくなった。味は舌先で感じるのみ。胃袋ではすでに味わえる状態ではない。とても悔しい。それでもおいしいことだけはわかる。 |
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頻繁に停電し、天然ガスも採れないせいもあってか、パンを焼く燃料は炭らしい。こちらもかなりうまい。今時これほどのフランスパンは本国でもめったに食べられない。ありがたいことだ。 フランス語を流暢に操る現地女性が何度もやってきて、 「おいしいか?」 と聞いてくる。厨房から時折こちらをのぞく、フランス人らしい料理人はこの女性の旦那だろうか? 最後にコーヒーをつけてもUS10ドル程度である。(1999年夏のレートで¥1,200ほど) 客のほとんどは白人の観光客のようだ。いくら安いとはいえ、現地人の経済状態で易々と払える金額ではない。 しかしこの「10ドルを安い」と感じる私のおごりが、あとでたたることとなった。 |
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ナイトクラブの女
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実はこれだけの話をするのに恐ろしく体力を消耗する。そのあとしばらくはただボーっとしながら飲んでいた。なにせ音楽のボリュームがすごいのだ。台風の中で道を確認しあっている遭難者同士のような会話になる。 ホイットニー・ヒューストンから日本の演歌まで、なんでも踊れるように歌う歌手の力量に感心しつつ、ミラーボールの下で雨上がりのボウフラのようにからだをくねらせている客と女性たちを、二人はぼんやりと眺めていた。 |
![]() 町を走るバイクタクシー。 前はバイク、後ろはリヤカーのよう。 |
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翌日の午前、私はホテルのロビーのソファに腰を下ろし、彼女を待っていた。夜中にふった雨の名残の水たまりを眺めていると、彼女が現れた。しかし最初は誰だかわからなかった。前夜のけばけばしい化粧を落とし、ぴったりとした白いドレスもハイヒールも脱ぎ捨てた彼女は、痛々しいような少女だった。私は呆気にとられた。 |
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![]() ソー・ウオンと一緒にのったバイクタクシー |
「ホテルのタクシーを一日借りようか?」 「そんなに遠くないわ。バイクタクシーで十分よ」 この国はオートバイの後ろに4〜6人ほど乗れるリヤカーのようなものをくくりつけたタクシーが庶民の日常の足となっている。タイでも同様で、ラオス人がタイで使いものにならなくなったものを下取りしてくるんだ、といっている人もいる。 ガタボコのメインストリートに揺られながら、二人で借り切ったオートバイタクシーが走る。この道も日本政府の援助で、秋にはきれいに舗装し直される予定だという。 日本では夏に相当するこの季節は、当地では雨期。昼間の雨は珍しいものの、空はどんよりとしている。だからベトナムやミャンマーで経験したような酷暑はない。バイクのエンジン音がうるさいものの、風が心地よかった。 |
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金物屋街はたしかに近かった。百メートルほどの長さの通りの両側に、数十軒の店が並んでいる。しかし包丁はむしろ珍しく、鉈のたぐいが多い。 「ラオスの料理は中華包丁を使えば足りるわ。ここにある刃物は竹を切ったり、大きな肉の塊を断ち切るものよ」 「じゃ、これでいいや。いくら払えばいいかな?」 私は手に4本の刃物を抱えていた。彼女は店の主に値段を聞いてみる。現地通貨ではなくてもいいらしい。現地人しかいかない店でも、こういうことはあるようだ。 「2ドルだって」 「安くてありがたいね」 店員はうれしそうに2ドルの札を受け取ってくれたが、ソー・ウオンの顔は心なしか不機嫌なように見えた。私も、どうも様子がおかしいと気づきはじめていた。 |
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ラオスの包丁は、新品でも錆だらけだ。気候の問題だろう。これをピカピカにするには結構な手間と暇がかかりそうだ。 左の二本は肉厚でかなり重い。たしかに竹でも骨付き肉の塊でもばっさりといけそうだ。 右の二本は比較的包丁らしい大きさと重さ。ベトナムのものとは明らかに形がちがう。カーブしているほうは棟で、直線側が刃である。 ベトナムは日本へと通じる海に面しているが、西の隣国のラオスは内陸にある。ベトナムで見かけた出刃包丁や菜切りによく似た包丁は、やはり近世における日本との交易に関わり合いがあるのではないのか? 私の関心は大いに高まった。 |
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![]() これが一番小さい包丁。 錆さえ落とせばすぐにでも実用できそうな具合だ。 |
![]() こちらはズシリと重い。 いったい、なにに使おうか? |
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刃物街をでるとちょうど昼時だった。 「どこかでご飯をごちそうするよ。いい店を知ってるかい?」 「じゃ、私の友達が働いているタイ料理の店はどうかしら?」 「いいね。タイ料理は俺も馴染みがある。あの酸っぱいスープが好きなんだ。またオートバイタクシーを拾ってくれよ」 |
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![]() メコン川沿いの土手で自転車に乗る子供たち。 こんなものに乗れるのはよほどの金持ちの子供だけだとか。 |
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メコン川のほとりにその店はあった。雲の切れ間から陽が顔を出し、さすがに熱くなってきた。 現地のビール(ビア・ラオとよばれる。大瓶でも一本が50円ほど。安い割にうまい)を頼んだが、彼女は飲もうとしない。そういえば昨夜もコーラしか飲んでいなかった。ここで働く彼女の友達というのもやたらと若い。どう見ても高校生くらいの年頃にしかみえない。食事をしながら気になっていたことを聞いてみた。 「君、昨日の晩、兄弟(brother)を大学に行かせるとか言ってたけど、弟じゃなくて、兄さんだね」 ソー・ウオンは鼻で笑う。 「君の歳を聞いてもいいかい」 やはりはっきりと答えてくれない。 近くのテーブルではタイ人が数人、彼女の友人と話している。 「あの人たち、タイ人よ」 「何語で話しているんだい?」 「タイ語よ。ラオス人のほとんどはタイ語を話せるわ。言葉はよく似ているの。でも、タイ人でラオ語を話せる人は少ないわ。彼らは私たちを馬鹿にしているのよ。私もタイ人なんて嫌いよ」 「隣の国どうしは嫌いあうものさ。ヨーロッパはどこでもそうだし、日本でも朝鮮半島や中国の人たちを馬鹿にしたり、向こうからも嫌われたりした時代があった。今でもたいして変わりないだろう」 「あなた、いつもガムをかんでいるのね」 食事は終わっていた。ガムはキシリトール入り。日本をでる直前、歯医者にこれを勧められていた。私は歯も歯茎も弱いらしく、このままだと50歳で使いものにならなくなる歯が続出するという。世界中の刃物だけでなく、食にも大いに興味のある私にとっては大問題である。かくしてキシリトールガムは必携品となった。 「これをかんでいると歯が丈夫になるそうだ。君にもひとつあげようか」 「ありがとう。いただくわ」 きれいな白い歯並びが口からこぼれる。これならばキシリトールは不要だろうと思った。彼女の自然な笑顔を見たのはこれがはじめてだったかもしれない。そして、最後になった。
「私が働いているお店にもよく日本人が来るわ。お金持ちのタイ人や中国人もね。店の女の子たちはお金ほしさに彼らと寝ることもあるのよ。私だってそう。今まで何度もそうしたわ。あなたも買うんでしょう。包丁を買うみたいに、安いって笑いながら、人間も買うんでしょう。いいわよ。いくらでも売るわ。今夜も来てよ。金持ちの日本人は大歓迎するわ」 「それだけはしないよ。道徳家のつもりはないけど、女ってのはしばしば、刃物よりずっと危険だったりするからね。君みたいに」 事実ではあるが、この状況では浅薄なしゃれにしかならなかった。 彼女の怒りは収まらない。しばらくの間、日本や欧米の観光客、タイ、中国系の資本家たちの、この国での行状が述べられる。聞くに耐えず私は遮った。 「君は英語もうまいし、頭もいいんだから、今の仕事はやめて、普通の事務職にでもついた方がいいんじゃないか? ナイトクラブほど稼げはしないだろうが、たぶん、長い目で見るとその方がいいと思うよ」 「からかってるの?」 「まさか」 「私の兄弟が大学をでたって、まともな職が保証されてるわけじゃないわ。こういう国だもの。ましてや私には学歴さえないのよ」 「この国だって、いつまでもこのままじゃないさ」 「あなたになんて、なにもわかるわけがないわ。豊かな国の、エリートビジネスマンになんて」 「からかってるのか?」 「そうよ」 私はもう、言葉を失っていた。 いつ、こんなことになってもおかしくはなかったのだ。自分でさえ、このおごりきった魂胆に気づいていたはずだった。それなのに、こんな薄っぺらな旅を、私はひとりで面白がっていただけだ。 こうして会話も途切れたころ、彼女は道ばたのバイクタクシーの運転手に声をかける。我々二人は帰路に就いた。 排気量の小さなバイクがけたたましい音をたてるうえ、道のでこぼこのせいもあって、これにのるともう、話などできない。 やがて町並みは見覚えのある景色となり、ホテルの近くにバイクは止まった。 「あなたはここで降りて。私はもう、仕事の準備があるから」 私はひとりでおりた。そしてかけるべき言葉を探す。しかし見つからない。別れの挨拶だけはしようと名を呼んだ。 「ソー・ウオン・・」 それさえもバイクのエンジン音にかき消された。 彼女は目をあわせようともせず、横を向いたまま「バイバイ」と口を動かした。 古びたバイクがのろのろと走り去る。どれほど遅くとも、私が追いつくことはないだろう。 味もなくなったキシリトールが苦かった。 彼女が正体を見破った、私の旅がこうして終わった。 |