世界ナイフ紀行 -- ミャンマー
 
パガン 1
イラワジ川に消えたルビー
・・・或いは、旅のお供にミニツール・・・
 
 
    ヤンゴンから飛行機で北へ1時間。イラワジ川の東岸に広がるパガンの田園に、大小数千のパゴダが点在する。古いものは千年の齢をかぞえるという。
    早朝からホテルの自転車を借り、南へと下る。埃っぽい道で時折馬車とすれ違う。これがこの地のタクシーだ。住民達の朝の買い出しの帰りらしい。数キロおきにある集落で、放し飼いの豚や牛に混ざって人が暮らしている。のどかを絵に描けばこうなるのか。

(写真)パガンの農村地帯では、豚が放し飼いにされ、民家のそばで生ゴミを食べている(写真)
(写真)木陰で仙人のような顔つきの牛が昼寝をしている(写真)
 12月に入ったばかりの朝は少し涼しいが、それも昼までもたない。太陽が上から照りつける前にホテルへと帰ることにする。幅1キロを越える川を渡ってくる風が心地よい。赤や白の煉瓦を積み重ねたパゴダが無言で私を見下ろす。
    数百年の栄華にまどろんだパガン王朝が、北からなだれ込む蒙古騎兵に蹴散らされるとき、王や住民たちも断末魔の悲鳴をあげたのだろうか。それが信じられぬほどの静けさだ。ときの声も馬の蹄の音も、田園の静寂にかき消され、今は遠い。耳を澄ませても、聞こえるのは温かい風の音と、私の踏むペダルの軋みだけ・・いや、他にも自転車が走っている。うしろから追い抜きざまに速度を緩めたその漕ぎ手は、
「ヘイ、マスター。ドゥー・ユー・ウオント・ア・ルビー?」 と声を掛けてきた。土産物売りは世界の果てまで追いかけてくる。しかも前後に一台ずついる。
「ノー」 の一言で諦める人種ではない。そのまま数キロに渡り2台の自転車が私と併走した。ホテルまであとわずかというあたりで、少しだけ相手をしてやることにした。私とて営業マン。客が話も聞いてくれぬとき の辛さはよくわかる。

(写真)パガンの遺跡群が広大な荒れ地に残されている(写真)

 二人が取り出したルビーは長さ1センチもあろうかという大物。本物であることを証明するといって、道端の煉瓦の上に置き、もう一つの煉瓦で叩いてみせた。ルビーは傷ひとつつかず煉瓦が砕け散った。当方がキャッシュを1200円相当しか持っていないことを伝えると、
「800円で良い」と言う。せっかく耐衝撃テストまで見せたのに、この値段ではウソもばれる。
「これからホテルで昼飯を食べるから、他にもあれば午後もう一度見せてくれ」と言い残し、二人を後にした。

 午後になってホテルを出ると門のところで二人は待っていた。
「マスター!」と叫びながら自転車で追いかけてくる。
「これから川のほとりの礼拝所に行くから、付いてきてそこで見せろ」と叫ぶと、おとなしく付いてくる。

(写真)ゆっくりと流れるイラワジ川。向こう岸はバングラデシュ(写真)

先に着いて川を見下ろす塔の下のベンチに腰掛け、一休みしていると二人はやって来た。人目を気にしながら又も先程の石を見せてくる。手にとって透かしてみると、やはりルビーらしい透明さがない。
「偽物だろう」と言うと、
「さっき石で叩いて試したじゃないか」と食い下がる。それじゃぁ、とショルダーバッグからレザーマン・ミニツールを取り出してペンチに挟み、本当にいいのか?という顔で二人を見た。

 

(写真)レザーマン・ミニと、マイクラを畳んだところ。どちらも色々なツールがついている(写真) (ツールナイフというとスイスのアーミーナイフが有名だが、レザーマン、ガーバー、アル・マーなどの製品にも優れたものが多い。これらはアーミーナイフと比べるとより工具に近い。
旅行にはこれのミニと、ビクトリノックスのハンター、それともちろんオピネルNo.8の三本を欠かさずに持っていく。戦うビジネスマンの必携品である。)
(写真)ミニとマイクラのツールを出したところ。ミニはペンチ、マイクラははさみが売り物(写真)(写真)ミニの足をのばして、握りやすくした状態。マイクラはナイフだけ出している(写真)

    二人はうろたえながらも
「どうぞ」 とうなづく。思わず薄ら笑いを浮かべながらペンチをグッと握りしめると、やはりルビーの端が欠けてしまった。青ざめる二人を前に
「本物ならこれくらいで欠けるわけがないだろう(本当に欠けないのだろうか?)」 と吐き捨てると、兄貴分らしいのが慌ててミニツールを手に取り、しげしげと眺めながら言った。
「こんなことをすればダイヤモンド以外は全部壊れてしまう!!」
「じゃぁ、どうしてさっき止めなかったんだ?」
「だって、・・このペンチが中国製だと思ったんだ。これは日本製のスペシャル・ハード・スチールじゃないか。俺は知ってるぞ、こいつは凄いんだ」
「これはアメリカ製だよ」
「・・・。とにかく、この石をどうしてくれるんだ。日本人は皆、1万円以上で買ってくれるんだぞ」
「おまえ、今朝は800円でいいと言ったじゃないか」
「あれはスペシャル・モーニング・サービスだ。1200円しか無いって言うからまけてやったんだ」
    この男は喫茶店も兼業しているのだろうか。サービスの度が過ぎて潰れかけているところを想像してしまった。
    もう一人が、自分たちはルビーがゴロゴロしているラオス国境から持ち出したので、こんな値段で売れるのだと言う。日本へ持ち帰れば最低でも2万円以上で売れるぞ、と続けた。
    インチキ専門の土産物屋とはいえ、やはりミャンマー人だ。気の毒なほど擦れていない。ジュエリー・マキで2万円出しても、これの10分の1の大きさだ。世界中の土産物屋と幾多の死闘をくりひろげてきた私の敵ではない。しかし、二人が
「どうしてくれるんだ」 を10回も繰り返すうちに私はふと気づいた。私のレザーマンが男の手のなかで畳まれている。どうやら壊れたガラス玉よりも気になるらしい。このままではルビーの代わりにこれを貰うとでも言いだしかねない。

「確かにガラス玉でもタダじゃないだろう。500円やるから許せ」 と、財布から500円相当の紙幣を出して握らせ、返す手でミニツールを取り戻した。現金を見た男は機嫌をなおし、私が指で転がしていたルビーをこれ見よがしに川へ向かって放り投げても、大騒ぎはしなかった。

赤いきらめきは放物線を描き、イラワジの川面に小さなしぶきをあげて消えた。


(写真)ダマヤンジー寺院も見える遺跡群。とにかく広いし、廃墟となった小さな寺院が多数ある(写真)
1995年11月