ヤンゴンから飛行機で北へ1時間。イラワジ川の東岸に広がるパガンの田園に、大小数千のパゴダが点在する。古いものは千年の齢をかぞえるという。 早朝からホテルの自転車を借り、南へと下る。埃っぽい道で時折馬車とすれ違う。これがこの地のタクシーだ。住民達の朝の買い出しの帰りらしい。数キロおきにある集落で、放し飼いの豚や牛に混ざって人が暮らしている。のどかを絵に描けばこうなるのか。 |
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12月に入ったばかりの朝は少し涼しいが、それも昼までもたない。太陽が上から照りつける前にホテルへと帰ることにする。幅1キロを越える川を渡ってくる風が心地よい。赤や白の煉瓦を積み重ねたパゴダが無言で私を見下ろす。 数百年の栄華にまどろんだパガン王朝が、北からなだれ込む蒙古騎兵に蹴散らされるとき、王や住民たちも断末魔の悲鳴をあげたのだろうか。それが信じられぬほどの静けさだ。ときの声も馬の蹄の音も、田園の静寂にかき消され、今は遠い。耳を澄ませても、聞こえるのは温かい風の音と、私の踏むペダルの軋みだけ・・いや、他にも自転車が走っている。うしろから追い抜きざまに速度を緩めたその漕ぎ手は、 「ヘイ、マスター。ドゥー・ユー・ウオント・ア・ルビー?」 と声を掛けてきた。土産物売りは世界の果てまで追いかけてくる。しかも前後に一台ずついる。 「ノー」 の一言で諦める人種ではない。そのまま数キロに渡り2台の自転車が私と併走した。ホテルまであとわずかというあたりで、少しだけ相手をしてやることにした。私とて営業マン。客が話も聞いてくれぬとき の辛さはよくわかる。 |
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二人が取り出したルビーは長さ1センチもあろうかという大物。本物であることを証明するといって、道端の煉瓦の上に置き、もう一つの煉瓦で叩いてみせた。ルビーは傷ひとつつかず煉瓦が砕け散った。当方がキャッシュを1200円相当しか持っていないことを伝えると、 午後になってホテルを出ると門のところで二人は待っていた。 |
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先に着いて川を見下ろす塔の下のベンチに腰掛け、一休みしていると二人はやって来た。人目を気にしながら又も先程の石を見せてくる。手にとって透かしてみると、やはりルビーらしい透明さがない。 「偽物だろう」と言うと、 「さっき石で叩いて試したじゃないか」と食い下がる。それじゃぁ、とショルダーバッグからレザーマン・ミニツールを取り出してペンチに挟み、本当にいいのか?という顔で二人を見た。 |
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(ツールナイフというとスイスのアーミーナイフが有名だが、レザーマン、ガーバー、アル・マーなどの製品にも優れたものが多い。これらはアーミーナイフと比べるとより工具に近い。 旅行にはこれのミニと、ビクトリノックスのハンター、それともちろんオピネルNo.8の三本を欠かさずに持っていく。戦うビジネスマンの必携品である。) |
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二人はうろたえながらも 「確かにガラス玉でもタダじゃないだろう。500円やるから許せ」 と、財布から500円相当の紙幣を出して握らせ、返す手でミニツールを取り戻した。現金を見た男は機嫌をなおし、私が指で転がしていたルビーをこれ見よがしに川へ向かって放り投げても、大騒ぎはしなかった。 赤いきらめきは放物線を描き、イラワジの川面に小さなしぶきをあげて消えた。 |
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1995年11月
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