前夜 |
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前夜、私はまたもエジプトのカイロにいた。 英語のCNNニュースではどういう事情だかよくわからないが、パレスチナが荒れはじめていた。 いつも通り、パレスチナ人が石を投げ、イスラエル軍が発砲する。ホテルでテレビを見ていると、パレスチナ人の子供が軍隊に殺される様子が映った。 当然、アラブ諸国では騒ぎになる。カイロでも学生達が大学の構内でイスラエル政府に対し抗議のための集会を開き、軍隊が治安維持のためにその門を封鎖する。おかげで近辺の道路もふさがり、街中いたるところで交通渋滞がおこる。 誰がどう見てもイスラエルの横暴のように見えると思うのだが、イラクやユーゴスラビアのように某国の制裁を受けることもない。50年ほど前に、前もって制裁は受け尽くしたから…という理由だろうか。 仕事で通過する日本人がこれに関わることもできない。私はリヤドへ向かおうとしていた。騒ぎを横目で見ながら空港行きのタクシーに乗り込んだ。ここでも警戒は厳重だ。いや、空港だからこそかもしれない。めったに開けられることのないスーツケースも全開。土産に買い込んだチェスセットの駒が床に飛び散った。 |
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リヤド ー 絢爛の空港 | ||||||
リヤドの空港の清潔さ、豪華さには肝をつぶした。チリ一つ落ちていない広々とした空港内を歩いていると、突如目の前に巨大な噴水が現れた。はるか中空に噴き上げられた水が、何段にも重なった人工の岩棚を、めぐりめぐって最下段の池にそそぎ込む。呆気にとられて眺めることしばし。 またも厳重な荷物チェックを受け、外へ出ると私の名前を書いたカードを持った、出迎えの人が立っていた。サウジ人にしては色が黒い。 「あなたはサウジ人かな?」 「いや、とんでもない。ソマリアからの出稼ぎさ。サウジ人がこんな夜遅くに運転手なんかしているはずがないよ」 「うん。この国はそういう仕組みになっているという話は聞いていたけど、顔立ちがアフリカ人らしくなかったから・・」 「あぁ、エチオピアとかソマリアの人間は、色は黒くても顔つきが少し違うんだ」 「そうみたいだね」 空港をでて、車に荷物を積みながらソマリア人が聞いてくる。 「ところでこの空港はすごいだろう」 「まったくだね。日本にもこんなのはないよ」 「もっとすごいのを見せてやるよ。この回りには他にもいくつか空港があるんだ」 「いくつも? 国内線とか…?」 車は国際線の空港を出ていた。道路も立派だ。 「それもある。でも、たいていの日本人が驚くのはあれさ」 彼は運転席から右手を指さす。それは降り立った空港と道を挟んだ向かい側にあった。 まったくひとけのない空港に、灯りだけがともっている。 「なんだか寂しげだな。たしかに立派な作りのようだけど、こじんまりしているし、驚くというほどでもないけど…」 「あれはね、王族専用空港」 「王族専用!?」 「そう。外国から来る偉い客も使うけどね。おたくのハシモト総理大臣もあそこに降りたんだぜ」 私も仕事帰りが遅くなるとタクシーを使うことがある。 「贅沢なことだ」とひとりごちたりするが、この光景を目の前にして、なんとささやかな贅沢であることか、と思い知らされる。 思わず写真を撮りたくなるが、 「撮影禁止だよ」とさとされる。 空港だけではない。この国はどこもかしこもカメラを向けられない。なんとも妙な話である。 |
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車のウインドウ越しに、たった一枚だけとったリヤド市内の写真。 我ながらへたくそだと思うのだが、 人目をはばかる隠し撮りなので致し方ないのだ。 ![]() |
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またまた絢爛の大学は、まるでSF映画 | ||||||
翌日の運転手はチュニジア人だった。その後ろで私の隣に座る日本人は、通算で10年以上もここに住むN氏。 「Nさん、お酒が飲めないとつらくないですか」 「いえ、私は回教徒ですから。他の日本人は自分たちで葡萄酒を作ったりしてますけどね」 「なるほど。サウジは色々と大変だって聞いてましたけど、回教徒ならここに住んでもストレスはないでしょうね。」 「はぁ、いえ、やはり根が日本人ですから面白くないと思うことは色々ありますよ。でも回教徒だから我慢できるんでしょうね」 彼の奥さんはヨルダン人。この国では女性は車の免許を持てないことになっていて、それに反対する女性だけのデモがあったときに、テレビでニュースを見ながら彼女はこう言ったという。 「免許なんてなくても、みんな運転手を雇っているんだから平気じゃない・・」 そういう問題じゃないだろう…と思ったのは私だけじゃなくて旦那も同様だったらしいけれど、その発想はわからなくもない。サウジ人でさえあれば、形ばかり働いていればそういう身分でいられるのがこの国だ。 しかしながら、サウジ人の6割は二十歳未満だという。つまり人口爆発は目前だ。原油を採掘する以外の産業はほとんどなく、若い世代が働きはじめる頃には就職口も足りなくなるだろう。そこで政府は出稼ぎ労働者を徐々に減らし、サウジ人を代わりに職に就けることを、あらゆる企業に押しつけつつある。 日本企業であるN氏の会社も数年前からそれを義務づけられ、はじめは10%、次の年は15%…といった具合に、徐々にサウジ人比率をあげさせられている。しかしぬるま湯につかりきっていた多くのサウジ人に勤労意欲を奮い立たせることは難しい。出稼ぎ労働者と比べて能力も格段に落ちるので仕事にならないとN氏は嘆く。それも当然だろう。モチベーションが比較にならないのだから。 ところで、「免許よこせ」デモに参加した女性達はまとめて牢屋に放り込まれ、その旦那達はどこかへ左遷された人が多かったとか…。 仕事で出向いた某総合大学でも驚いた。空港と同じくらい驚いた。いや、もっとかな? とにかく広い。さらに建物が立派。ここでもまた天井の高さに驚き、その中にいる人たちにはもっと驚かされた。誰も彼も、まるで同じ格好。白い大きなシーツのような服を着て、頭を覆う赤いチェックの布には孫悟空のようなワッカをはめている。そして、女性がいない。女は大学教育を受けることができない。事務員さえ男ばかりだ。たまにいる掃除夫は例によって出稼ぎ労働者で、彼らだけは服装が違う。雇われ教官は私と似たような格好(スーツ姿)だが、圧倒的な数のサウジ人はすべて「オバQ」スタイルだ。 「建物といい、人といい、まるで、SF映画のセットみたいですね」 廊下を歩きながらN氏にふとそうもらした。 「そうですか? 長く住んでいるとこんなものだと思いますけど」 あまりに同じ服装ばかりを見せられ、なんとはなしに大学の制服かと思いそうになったが、街を歩くサウジ人は誰も同じ格好をしている。王様も、庶民もそうらしい。着ているもので貧富がわからないという点では日本人以上かもしれない。いやもっとも、貧乏なサウジ人は少ないのだった。 街を歩くサウジ人といったが、昼間は暑いので、屋外ではほとんど見かけない。10月でも日中は軽く30度を超える。 「暑いですねぇ」 「そうですか? もう秋ですけどね。35度くらいだと思いますよ」 N氏はなにもかも慣れてしまっているようだ。 |
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サウジナイフ | ||||||
N氏と行動をともにするある日、私は例によってナイフの話を持ち出した。 「私、ナイフのコレクションをしているのですが、これっていうサウジナイフはないですかね?」 「んー、あの腰帯にはさむのは本来イエメンのものですからね。そうだ、ダマスカスナイフはどうですか? ここいらでも売っているはずですよ」 「あれって、最近アメリカや日本で大流行してましてね、カスタムメーカーは猫も杓子もダマスカスなんで、かえってつまらないな。だいいちアメリカほど立派なものは、ここじゃ作れないでしょう」 「へぇ、そうなんですか。その昔、十字軍がヨーロッパへ帰るときに土産に買っていくのが流行ったそうですが、千年もたってまた流行ってるんですか」 「この国も製造業って少ないみたいですから、鍛冶屋もほとんどないんでしょうね」 「そうです。なまじ石油が出たおかげで、本来の地場産業は壊滅したんですよ。職人もほとんどが出稼ぎ労働者ですから、この国独自の民芸品なんて、もう作り手がいないんじゃないかな?」 困ったことである。たしかに土産物屋もほとんどがパキスタン人。売っているナイフは自分たちの国から輸入したものばかり。イエメン風のナイフでさえ、パキスタン製だという。日本でも最近はパキスタンナイフが多く出回っている。作りが荒く、鋼材の品質もひどいものが多い。これを土産にする気にはならない…。 しかし、パキスタン人の店主が勧めてくれたたったひとつのサウジナイフがあった。嘘か誠か 「これだけはサウジ製だ。品質はパキスタンが上だけどね」 信じることにした。たしかに作りは他のナイフよりまだ悪い。それだけに信じられるものがあった。 ベルトにくくりつけられた鞘は、そのベルトと交差せず、平行になっている。水平にさすかんじなのでナイフが鞘にきっちりはまっていないと、ちょっとしたショックで抜け落ちそうだが、いずれにせよこれを腰につけて出歩くこともない。はなはだ不本意だが、これを持ち帰ることにした。
かえすがえすも不本意であった。しかし、サウジからの帰国途中、私はチューリヒによるのである。知らぬ人もない、それは、ビクトリノックスの故郷であるのであるのであるのだった。はぁ、うれしいな。 またも出稼ぎ運転手に見送られた空港では、またもスーツケースは全開となり、またもチェスの駒がチャラチャラと安っぽい音をたてて散らばった。 そういえばこの国では麻薬のトラフィックは重罪である。スーツケースから麻薬が出てくれば、問答無用で死刑である。 N氏によれば治安のよいサウジでは、昔は死刑など滅多になかったそうだが、今は毎週金曜日、バーレーンから来る「出稼ぎ首切り役人」が麻薬の売人相手に大きなサーベルをふるっているそうである。たまたまそれを目撃した日本人商社員は、一週間なにも食べられなくなったとか。 |
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チューリヒ秋雨前線 |
リヤドをあとにした飛行機は黎明のチューリヒにランディングした。あまりに早くつきすぎ、半日だけ予約した空港そばのホテルのチェックインもできない。暇つぶしに、おおむかし習ったドイツ語を思い出しながら、空港内で人に声をかけてみる。 「○×ホテルはどう行けばよいのですか?」 「○×ホテル…、△□☆*!!?○☆△……」 どうもよくわからない。ドイツ語らしいが、おそらく田舎の方言だろう。 ボルドーに住んでいた頃、アパートの隣部屋のフランクフルト人が、ウイーンのラジオ放送を聞きながら大笑いしていたのを思い出した。アー・ウムラウトがオー・ウムラウトになるのだそうだ。それをラジオ放送で使うのだから、彼らにとっては方言ではなくて、れっきとしたオーストリア語と考えられているのだろう。となりのスイスのドイツ語もこの調子だとしたら、私のあやふやなドイツ語がすんなり通じるとは思えない。覚悟を決めるべきだとさとった。 ホテルでは暖房のきいた部屋にとおされたとたんに眠り込んだ。しかし貴重な時間を無駄にできない。日本行きの飛行機は夕方でるのだ。その気持ちがどこかにあったのか、眠りからは1時間ほどで覚め、財布とパスポートだけを持ち、市内行きの列車に乗った。霧雨はまだ降っていた。 チューリヒはスイス一の都会だそうだが、さほど広いというわけでもない。市内地図をみながら、駅からベートーベン通りとか、ナンヤラ通りとかをめぐりながら湖まで歩いてみた。道を歩く人はほとんど冬支度寸前といったいでたち。直前までいたカイロやリヤドとは比べるべくもない。
霧雨が冷たく、薄着の上にはおったジャンパーだけでは心許なくなってきた。土産物屋に入ってがらくたを物色しながら傘を探した。手頃な値段のものをみつけ、一息ついて店内をうろうろしてみると、やはりビクトリノックスのショーケースがある。日本でも店によってはものすごい種類をそろえているので、特に珍しいものは見つからない。ましてやオピネルは一本もない。ゾーリンゲンもない。家族経営らしい店の奥さんと娘さんに聞いてみた。 「オピネルを探しているのですが、ありませんか?」 「オピネル? なんですか、それは?」 「フランスのナイフでして、アルプス地方では有名なはずですが…」 私は無謀にもドイツ語で話していた。通じるような、通じないような会話にいらだったか、奥さんが英語やフランス語のできるあるじを呼び出した。訛りは強いがフランス語も話せる人だった。 「オピネルか、それなら、そこの橋の向こう側にある教会の裏に"ケリンの店"がある。専門の刃物屋だから、オピネルも何本かあるはずだよ」 親切な人で、自分の店のカードに書かれている地図に道を書き足して、「ケリンの店」に印を付けてくれた。 「ありがとう」 黒と黄色の派手なツートン傘をさして、店を出た私になおも方向を指さしてくれる店主に礼を言いながら、私は橋を渡った。
ケリンの店は簡単に見つかった。看板にでかでかと「ケリンの店」と書いてある。傘を畳み、私はガラス戸を押して中へ入った。 ケリンは上品そうで、にこやかなおばさんだった。残念ながらオピネルは普通のものしかないというが、スイスまで来てオピネルにこだわるつもりもない。やはりビクトリノックスの面白いものがあればその方がいい。 新発売のカードタイプのビクトリノックスを見せてもらった。日本でも出始めているが、スケルトンモデルは初見だ。赤いのが気に入ってそれをひとつ買いんだ。機能はクラシック程度のものだが、平たいカードタイプは、持ち歩くのに便利なときもあるだろう。
ついでにドライザックの包丁を見せてもらった。本来はいいお値段がするはずで、買えるとは思わなかったが、ここにはかなりの種類がある。そのうちから、じゃが芋の皮むきに使うらしい小さめの、ブレードが内側にカーブしたものを選んだ。やはり日本で買うよりは少し安い。
ケリンは、東洋人でありながらカタコトのドイツ語を操る私の素性に興味を持ったらしく、あれこれと世間話をしたがった。当方がナイフのコレクションをしているというと、店の奥から次々と妙なものを引っぱり出す。 「コレクションなら、普通のものではつまらないでしょう。こんなのはどう?」 彼女が手にしたナイフは刃渡り30cmほどのパキスタン製ククリナイフ。 リヤドで見飽きたものの倍はあるだろうか。鞘から抜いて、なにかを叩き切るような仕草までしてみせてくれた。度の強そうな眼鏡の奥で優しげに光る瞳とのコントラストが強烈だった。私はふと背筋に寒いものを覚え、早々に立ち去るべきかという気がしていた。 坂の多いチューリヒの裏通りを歩く私の脳裏には、ケリンのナイフショーのハイライトが去来していた。それほど強烈だった。しかしながら高台を登りきったところにある、行き止まりの公園で市内を眺望し、視線を上に向け、遙かにアルプスの連邦を見やるうちに心は静けさをとりもどしつつあった。
老人と一緒に散歩する犬の気配に後ろを振り向くと、敷地の一角に高さ20〜30cmほどもある巨大なチェスの駒がいくつか並んでいるのに気づいた。近くに寄ってみると、地面にチェック模様の盤が埋め込まれている。天気の良い日には、近所の人たちがここでわいわいと遊んでいるのだろう。ひとけのない公園の立木はすでに紅く染まり、雨の滴がそれに艶をあたえていた。 カイロの喧噪、パレスチナの暴動、リヤドの酷暑。そしてチューリヒの静謐な秋。数週間の旅の合間に見たものすべてが、チェス盤のチェック模様のひとつひとつに重なって、整然と並びはじめる。どれほど異質なものでも、それらが寄り添うことによって世界は構成される。どれが欠けても調和はない。 どうやら私にはチェックメイトがかかったらしい。古い靴の底から、秋雨の冷たさが私をせきたてていた。 ここもまた通り過ぎるときがきたのだ。 |
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![]() 巨大チェス盤を囲んで幾つもの椅子がおかれていた |
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2000年 10月 |
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