世界ナイフ紀行
スリランカ


コロンボ・カルタラ



マグロの味

 エア・ランカのA−300は成田―コロンボを9時間で飛ぶ。時差が3時間なので昼の一時に出ると夜の八時につく。客はまばらで、肘掛けを跳ね上げて寝ているうちに着いた。
 私は飛行機の中で寝るのが得意だ。席に着いたとたんに眠ってしまい、最初に目が覚めるのは離陸の時だ。世界を駆けるビジネスマンとしての適正はあるようだ。こと、これだけに限っては・・。

路上の朝食
 

犬とカラスと猫が、仲良く生ゴミをあさる。

  一夜開けるとさっそく仕事。しかし、時差はともかく、飛行機の中でほとんど寝ていたためやたらと早く目覚める。散歩がてら、町の中で朝食をとることにした。

 コロンボは海沿いの町であり、新鮮な魚が町中にあふれている。カフェの菓子パンにも魚のすり身が入っている。やたらと辛いがおいしい。紅茶は当然セイロン・ティー。こんな日が数日続いた。


 私は外国へ出るとなるべくその土地の料理を試すようにしている。今回もこのように一週間ほどをすごし、幾本かのナイフか包丁を手に入れて帰国するはずだった。しかしある日、現地の日本人にホテルのすぐそばの日本料理屋に連れて行かれ、予定が狂った。そこはナマのインドマグロが売り物であった。

 女将さんは日本人。一方、その他のスタッフは寿司を握る職人までスリランカ人。しかし全員が流暢な日本語を話す。接客は今時の日本の店では見られないほどの丁寧さ。それよりも驚くのはマグロのうまさだった。当然といえば当然。ここはインドマグロの本場である。冷凍もされない、ナマの上物が日本料理店によって買い付けられる。
 鯛、ボラ、サヨリもまたナマのまま寿司に乗って出てくる。ただし、イカは少々かたい。日本の近海でとれるようなマイカ、ヤリイカのたぐいはないようだ。ここでとれるはずのエビもどういうわけか茹でてある。しかし、とにかくうまい。そして安い。本当のインドマグロの味を知りたければ、スリランカに行くことだ。

 魚だけでなく、肉もまた日本の水準を越えている。豚カツ定食についていたヒレカツは、まるで羊羹が丸ごと一本出てきたようであった。そしてこれが柔らかい。これだけ太いヒレを、これほど柔らかく、さらに衣だけはカラリと揚げるウデは上野仕込みだろうか? 案の定、料理人は全て日本で修行をしてきているという。
 途上国では必ず脂がのってしっとりとおいしいニワトリ、そして甘いパイナップル…。どれをとっても申し分なかった。土産には特産のスパイス、シガー。日本では滅多にないフランス風のエシャロットも手に入れた。それだけで私はこの国が好きになった。 人生の基本は「食」である。
 ただし、なにもかもハッピーというわけにはいかない。この国もまた部族・宗教対立のせいで、時にはコロンボ市内でさえ爆弾騒ぎがある。ホテルのすぐ前は海岸だというのに、治安維持のために釣りも泳ぎも禁止だ。町中、いたるところに自動小銃をかまえた兵隊や警官がいる。難といえばそれくらいだろうか。それにしても大きな難である。
 彼らにはもちろんカメラなど向けられない。右は隠し撮りにて撮影したホテル前の婦人警官である。とてもかわいい。
 市場もあちらこちらを見て回ったが、土地の刃物が見あたらない。例によってタイとか中国製の包丁が見つかる。面白いことにブラジル製の包丁をあちらこちらで見かけた。この国とブラジルはいったいどういうつながりがあるのだろう?

郵便ポストは赤、緑、青の三色を見かけた。
どういう区別なのだろう?
 市内・国内・海外といったところか?



カルタラの寺院

 仕事も終え、一日だけ暇になった。町の中にはこの国特有のナイフなど見つからないこともわかった。こういうときは郊外に出るしかない。コロンボの南のカルタラという町に大きな寺院があると聞いて、それを見物がてら刃物探しの旅に出かけた。

 半日だけ雇った車の運転手はマヘージという名だ。彼とはすでに数日のつきあいである。気心が知れつつあった。

マヘージの車の中から見た町の風景
「マヘージ。カルタラまでどれくらいかかるのかな?」
「1時間てとこだ。途中には特にみるものはないよ。鍛冶屋を見かけたら教えるから寝てろよ。あんた、疲れてるみたいだぜ」
「そうなんだ。仕事のあとは毎晩のように宴会さ。特に商売がらみってわけでもないし、それなりに楽しいんだけどね。マグロもうまいし…。そうだ、あのココナッツのブランデーもいけるな。名前はなんていったっけ・・・」
「アラックだ。そうだろう、うまいはずだ。あれは俺も好きさ」
「ビールはずいぶんと種類があるんだな。イギリスの影響か、スタウトの質が高いみたいだ。この国はうまいものだらけだ。でも、やっぱりくたびれた」
「どうやら仕事のせいじゃなくて、飲み過ぎ、食い過ぎのせいらしいな・・」

 車はコロンボから南へ向かって海岸沿いを走る。運転手の言葉とは裏腹に、周りの景色が面白くて、ほとんど眠れなかった。いつも思うことだが、その国の特色は田舎に現れる。
 気がつけば前方に白い、大きな寺院がみえていた。マヘージが声をかけてきた。
「ついたぜ。左にあるのがカルタラの寺院だ。あれ、妙だな。櫓がくんである。改装でもしているのかな」

海岸から見たカルタラの寺院。

右手前にはアベックが写っている。勝手にしやがれ。

 たしかに寺は改装工事の真っ最中だった。車を降りた私のそばへ、寺男らしい人物がやってきて話しかける。
「日本からのお客さんですね。残念ですが、こちらの寺院はしばらく入れません。向かいにある小さな寺を見物してください。仏のご加護はどちらでも同じですから…」
 こういう場所で頼みもしないのにしゃしゃり出てくる寺男は、最後に必ず寄進とガイド料を要求する。わかっていながらも説明を受けることにした。実はこの日、私はうかつにも財布をホテルにおきっぱなしだった。たまたまポケットに1000円ほど持っているだけだ。たかられたところで、ないものはない。そして土産の包丁代だけはキープする覚悟を固めていた。

 寺の入り口で靴も靴下も脱がされた。東南アジアの寺院はこういうところが多い。話しかけてきた男は、第二の男に私をゆだねていた。どうやら彼の方が英語は達者なようだ。
 最初に入った御堂に寄進箱があった。そこに100円ほどをいれた。実は私はほとんど仏教徒なのだ。いろいろな教典を読んでみたが、仏教のものがどれよりも洗練されているような気がする。コーランも、聖書も、決して悪くはないのだが・・・。
 この国の寺院には線香というものはないのだろうか? お参りをするときには花を手向けるらしい。ろうそくもないかわりに椰子油を使うランプがいたるところにある。

 小さな寺を一通り見終わり、説明を受けたところでやはり寄進とガイド料をくれと言われた。所持金のおよそ半額、500円程度を要求される。正念場である。
「寄進はすでにすませた。それと、これから買い物があるんだ。ガイド料は200円で勘弁してくれないかな」
「そうですか。ありがたくいただきます。しかし、最初に会った男と、下足番にも少しだけあげてください」
  思いのほか良心的だ。たしかにガイド自体も決していい加減なものではなかった。下足番は砂と水たまりで汚れた私の足を拭うための雑巾まで持ってきてくれた。彼と、向かいの寺で話しかけてきた男にも50円ほどを渡した。さて、残りは600円。これでもナイフの数本は買えるだろう。世界を駆けるビジネスマンの計算は常に細かい。居眠りの特技だけではつとまらないのだ。

寺院のそばに架かる橋
日曜日のせいか、お参りの人が大勢いる。

 運転手のマヘージが待つ場所へ帰る前に、近くの川にかかっている大きな橋を途中までわたり、数百メートル先の河口をぼんやりと見やった。その果てにインドマグロがたむろするインド洋がみえていた。すると最初に見た男が、友人らしき男といっしょにこちらへやってくる。 どちらも若い。

「やぁ、日本の旦那。さっきはありがとう」
「せっかく寺へ案内してもらったのに、少なくて悪かったね」
「いや、いいんです。お金なんて所詮紙切れだから…。それより、煙草をくれませんか?」
 日本から持ってきていたショートホープをきらし、その日からマルボロを吸っていた私は、彼に3本渡した。おいしくなかったので、どうでもよくなっていた。

 連れの男も愛想良く話しかけてくる。彼にも煙草を渡そうとしたが、いらないという。
「日本人はすばらしい人たちだと聞いています。仏を信じる国の人は、だれもそうですが」
「そうかね。日本にも悪いヤツはいっぱいいるよ。ここはちがうのかな?」
「いや、ここだって悪人はたくさんいます」
 川の流れを見ながらしばらく雑談をする。やがて彼はポケットから二つ折りの財布を出し、若い女性の写真をみせる。

「これは私のガールフレンドです。かわいいでしょう」
「ほう、たしかにかわいいね。君はラッキーだな」
「気に入ってもらえましたか。彼女は、ほら、ここからみえる川沿いのバンガローに住んでいるんです。なんなら、今夜彼女と楽しみませんか。安くしておきますよ」

 くらくら…。川面がゆれている。

「おい、彼女は君のガールフレンドなんだろう!?」
「ノー・プロブレム、ノー・プロブレム」
 もう一人の男が笑っている。こちらは笑えさえしない。二人をそこに残し、マヘージの待つ車へ向かう。

「さて、今度こそ鍛冶屋か刃物屋を探してくれよ」
「近くに鍛冶屋が一軒あるらしい。場所はもう聞いておいたよ。その前に海辺へ行ってみよう。コロンボ市内じゃ兵隊がうるさくて海岸は釣りさえ禁止だろう」
「手回しがいいじゃないか。たしかに海を見たいよ。インド洋がまともに見てみたい」
 車は橋をわたる。

 途中で先ほどの二人が座ってこちらへ手を振っている。
「マヘージ。あいつら、自分のガールフレンドを俺に売りつけようとしたんだぜ」
 彼は大笑いをしながら聞き返す。
「本当にガールフレンドかな。妹かもしれないぞ」
「そうかもな。たしかに母親にはみえなかった」

 海はすぐそばだった。海辺につきものの風景、アベックが何組か目に付いた。少し風はあるけれど波は高くない。

 ヤケに静かな海だった。

 遠くにマグロの背鰭くらいみえないものか…。私はむなしく目をこらした。思ったほど青い海でもない。雨期のせいで泥水が河口から吐きだされているからだろうか。
 砂丘の少し後ろに、漁民たちの小屋が数軒並んでいる。ただ、それだけだった。

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 俳人気分もそこそこに、私は鍛冶屋へ急ぐことにした。マヘージの車は寺院のそばの本道を左に曲がり、小さな露天の市場街に入った。

カルタラの鍛冶屋

 市場のはずれには駐車場があった。そこから左へ曲がり細い道を歩いて一番奥までいくと、廃屋かと思える小屋があった。しかし 中には金床やフイゴがある。槌もグラインダーも、いかにも人が使っていそうな雰囲気でおかれている。
 鍛冶屋はその向かいの小屋に住んでいた。おもてで遊んでいた子供が不意の来客に気づき、あるじをよびに小屋へはいる。
 まずは長男らしき少年が出てきた。スリランカも田舎へいくとほとんど英語は通じない。子供たちは学校で多少習っているらしく、両親よりも話は分かるようだ。しかし十分ではない。彼らの話す言葉はシンハリーズ語。マヘージの通訳で、少年は作業場の隣にある倉庫から幾本もの包丁を出してきた。思いもかけず種類が多い。友人への土産も含めて、5本ほどほしくなった。しかし意外と高い。5本だと1000円以上する。ところが所持金は600円だ。

「おい、マヘージ。少し貸してくれないか。ホテルに帰ったら返すから」
「客に金を貸すのははじめてだよ。あんた、本当に日本人か?」
 ぶつぶつ言いながらも、彼は足りないぶんを出してくれた。

 5本の中には先のとがった包丁がある。太めの柳刃のようだ。この形で少し小さいのはないかと少年にたずねた。アジ切りのようなものがかねてからほしかったのだ。

 少年が小屋へ戻り、昼寝をしていた父親をよんできた。マヘージが通訳をしてくれる。
「そういうのも作るらしいが、いまはないそうだ。なんなら、ここで作ってもらうか」
 さほど時間はかからないという。スリランカの鍛冶の実演を見るまたとないチャンスでもあるし、是非にと、私は頼んだ。

長男がフイゴに火をいれる

 長男がフイゴに火をおこす。父親は適当な鋼材を選び出し、槌を握る。いつのまにか次男と女の子が二人、私のそばに立ってにこにこしている。そのうち末の娘らしき黄色のTシャツの子が向かいの小屋から籐の椅子を持ってきてくれ、「sit down」と指さす。近所の人たちも集まりだしていた。私はカメラをかまえ、全工程を写しはじめた。
 まずは小さな鉄片をフイゴで焼く。炭は軽い。日本の松炭に近い感じだ。天井からつり下げた天秤のような棒の端についた紐を、長男が幾度も引っ張り火を強める。瞬く間に鉄は赤くなり、鍛冶屋は片手で槌を振るいだした。それを幾度か繰り返し、整形が続けられる。長男がときおり向こう槌を振るう。
 なおも父親が槌を振るう間、ハンドルとなるらしい細い棒を、長男が万力にはさんで鋸を使い、適当な長さに切る。そして火鋏につままれた刃が、赤い錆や油の浮いた水おきにつけられ、こもった音をたてた。
 刃は万力に挟まれ、細いタングを上に向けられる。それに先ほどの木のハンドルを金槌で打ち込んでいく。木は柔らかいらしく、あっさりと包丁らしい形ができあがった。

 鍛造はさらに続く。形はおおむねできているので、細かい修正がはじまった。フイゴの火でハンドルの表面が焦げてきた。間もなく包丁はもう一度水につけられ、鍛造は終わった。
 ハンドルの焦げた部分はヤスリで削られ、刃はグラインダーで最終の整形が施される。全ては30分ほどのことだった。


鍛造の開始を長女と次男が見守る
刃を水につける
ハンドルをタングにねじ込む



グラインダーで最後の整形
ハンドルを削る

左にいるのがマヘージ
できあがり
 できあがった包丁はまさしくアジ切りだった。ベトナムの出刃ほど薄くなく、ラオスのものほど厚くもない。ペティナイフのようにもみえる。
 マヘージがまたもぶつぶつ言いながら200円ほどを鍛冶屋に手渡す。

 帰り際、次男が私のボールペンを欲しがった。森○チョコボールのマスコットであるキョロちゃんが頭についた貴重品だったが、渡してしまった。勉強に使うのだという。

 すっかりなついた次女は私のそばを離れない。最後には鍛冶屋と4人の子供たちといっしょに、マヘージに記念写真まで撮ってもらった。


かわいい次女
 コロンボへ帰る車の中で、マヘージもまたうれしそうな顔をしていた。

 左手には海岸線。あいかわらず波は忍び足だ。

「旦那。あの鍛冶屋一家はみんな人が良さそうだったな」

「ああ、そうだな。それに鍛冶の実演も見たし、包丁のできも悪くないみたいだ。いい収穫だったよ」

「しかしまぁ、貧乏そうな家だ。田舎町の鍛冶屋じゃあたりまえか。大金は稼げるわけがないもんな。あんた、子供にボールペンまでとられちまっただろう」

「あれは大切なものだったんだが、仕方ない。それにしても、彼らは貧乏なんて苦にならんだろう。だって、人生に必要なものはほとんど持ってるみたいだから。俺たちとはちがうよ」

「全くそのとおりさ。ところで俺がいくら立て替えたか、ちゃんとおぼえているだろうな…」

 聞こえないふりをするには、海が静かすぎた。
1999年 10月