JFK到着 |
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初めての米国は、いきなりニューヨークだった。夏時間が始まった直後で、時差はー13時間。昼夜がほぼひっくり返しになっている。成田を昼の12時に乗ったため、飛行機の中でも長時間は眠れなかった。JFKへ降り立ったときから体調不良のまま、路線図を見ながら、まずはHaward Beachへ。そして地下鉄に乗ってNYペン・ステーションへと向かった。 行き先はニュージャージー州なので、本来ならばNew Ark 空港に着くべきだったが事前の下調べが不十分で手遅れ。そのペン・ステーションでも、目的地までの切符を買うのに長蛇の列の最後尾につき、やと自分の番がきたかと思ったら、 「NJ行きの切符は、あっちの自販機で買うのよ」と言われ、めまいをおこした。 列車に1時間半ほど乗って、ニュージャージー州 Long Branch到着したら、もう、ふらふら。翌朝からの仕事が思いやられた。
翌朝、ホテルのロビーへ降りていくと、そこに迎えの人が来ているはずだった。しかし、ロビーには白髪の老人が一人、携帯でメールチェックをしているだけだった。この人が出迎え?まさか・・・。しかし彼は私の姿を認めると、右手を差し出しながら近づいてきた。 「ようこそアメリカへ。私はフランチェスコ。フランクとよんでくれ」 外へ出ると、そこにはメルセデスのスポーツカーがとまっている。彼の愛車だそうだ。そこまできて気がついた。この「フランチェスコ」は、私が訪問するはずの会社の、70才半ばの社長なのだ。まさか、社長自らがお出迎えとは・・・。 |
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車に乗るとすぐにあれこれと話しかけてくる。 「ワシはな、ずっと海軍にいたから、若い頃には世界中をうろうろしていたんだ。もちろん日本へも行った。サセボ、フクオカ、ヨコハマ、ヨコスカ、オキナワ・・・最後にいたのは、1974年のことだ。あれから日本もずいぶんと変わったんだろうな」 話し好き、人好きな雰囲気がただよう。名前の通り、フランクな人なのだ。 彼の会社まで車で15分ほどの道のり、いかにもアメリカらしい景色が続く。住宅街はこぎれいな家に、広い芝生の前庭があり、冬木立の森も、空気も綺麗だ。 「ニュージャージーはいいところだぞ。気に入ったか?ちょっと遠いが、港のほうも凄いんだ」 「ええ、とてもいいですね。いかにも豊かなアメリカって感じです。日本ではなかなかこんな景色は見られませんよ」 信号もない十字路でいったんとまりかけ、左右からの車を見ていたフランク。「行ける!」と思ったのか、突然に急加速。メルセデスのエンジンがうなりを上げ、タコメーターの針はレッドゾーンへ飛び込む。 「フランク、左右から車が・・」 「おう、そうさ。左から来る、右からも来る、正面からも来る。そして俺も行く。これが American Way だ!」 |
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初日からハードスケジュールで仕事をこなし、翌日の午前中にも持ち越し。 二日目は時差ボケのためか寝過ごしてしまい、朝食は抜きだったのだが、職場にフランクが買ってきてくれたミスドで腹ごしらえした。これは日本とまったく同じ。いや、日本のモノが、アメリカのと同じなのだろう。 昼少し前、スタッフとの仕事が終わったところを見はからい、フランクが待ち構えたように言いだした。 「おい、ニューヨーク見物に出かけるぞ」 「え・・ニューヨークって、遠いでしょう。それよりも、このニュージャージーでなにか見物できるものでもあれば・・・」 「こんなところに見るべきものなんてない。さぁ、行くぞ」 (話が違うんじゃない?昨日、ここは良いところだって言ったじゃないの・・) |
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NJ から マンハッタンへ 片側6車線のハイウエイが、100kmほどNYまで続いた。 |
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車は昨日のメルセデスとちがい、社用車のトヨタだった。しかし昨日の運転の調子だと、今日もどういうことになるか、最初からおおよそ見当はつく。そしてやはり、ひやひやの連続だった。 「おう、若いの。日本じゃハイウエイの制限速度はどれくらいだ?」 「時速80kmから100km。ここよりはのんびりしていますよ」 「なに?80kmくらいで走るんだったら、ワシは車なんていらないぞ」 「・・・そうでしょうね・・・」 「わっはっはっはっは・・・」 |
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「ワシは70年以上も前にニューヨークで生まれた。そして、いつでもやりたいようにやってきた。アメリカじゃ、人は誰でも自分がなりたいものになれるんだ ! それがアメリカなんだ」 私はまだ、アメリカのハイウエイでホトケ様になりたいと思っているわけではないのだ。シートベルトとエアバッグはこのスピードでも役にたつのだろうか・・と大きな不安を感じていた。 |
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ハイウエイの木立の隙間から、マンハッタンの摩天楼が見えてきた |
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これがニューヨークだ!! | ||||||||||||||||||||||
NYの下町を車で流しながら、フランクが休むことなく話す。 「このすぐさきに、ワシの通っていた高校があったんだ。兄貴が行っていたのはもう少し離れたところ。そしてこのすぐむこうがチャイナ・タウンだ」 信号待ちでとまった車の前を、色々な肌の人たちが通り過ぎる。二人でそれを眺めているとまた話し出した。 「おい、見てみな。あそこを歩いている連中を。どれがユダヤか、アイリッシュか、イタリア人か、中国人かベトナム人かわかるか。わかるわけはない。しかしな、ワシが聞かれたら、こう答えるね。”あいつはアメリカ人さ”って」
「このチャイナ・タウンは、ワシが高校生の頃にはなかった。この先の、わがイタリア人街がここら辺まで伸びていたんだ。こんな風になったのは15年くらい前かな」 「なんだか寂しくないですか?」 「まさか。そうでなけりゃ寂しいね。だってな、これがニューヨークって町が生きているってことの証しなんだ。昔はイタリア人だっていなかった。その前にはイギリス人だっていなかったんだ。今は中国人の町。そしていずれまた、よそから誰かがやってきて、どんどん町並みは変わっていく。これがニューヨークってもんさ」 「とにかくニューヨークはすばらしい町さ。そりゃ問題は色々ある。しかしな、問題のない町なんてこの世にはないんだ。そうだろ? それにな、この町じゃ、金持ちはいいところに住めばいい。しかし、貧乏なやつでもそれなりのところに住める。誰でもが自分の居場所を見つけられるんだ。それを誰からもとやかく言われることはないんだ。それがニューヨークさ!」
「ところでフランク、海軍時代はどんなナイフをもっていたんですか?軍からの支給品てあったのでしょうか。ベトナムでは米軍がおいていったレミントンとかをたくさん見たのですけど」 「いや、海軍にはそういう支給品はなかったよ。太平洋の島にいた頃は、作業用にでかいナイフをもっていたけどね。ランボーナイフのような、ボウイナイフってやつだが」 「ボウイナイフは映画のアラモで見ましたよ。似たようなやつを一本持っています。日本では滅多に使いませんがね」 「ほう、アラモを観たか。あの映画は良かったよな。ワシも好きだよ。若い頃は映画も良く観たもんさ」 「そういえば、あなたの世代はウエストサイド・ストーリーとダブるでしょう。イタリア移民も出てくる映画ですよね」 「そうなんだ。まったくあの時代だ。ワシもジョージ・チャキリスやリチャード・ベイマーみたいに踊ったもんだぞ。そしてナタリー・ウッドみたいな女を見つけて結婚した。昨晩、イタリアレストランに連れて行ったから見ただろう。わっはっはっは・・・」 道の真ん中で、ハンドルから手を放し、今にも踊りだしそうなフランク。うかつなことを言ってはまずいようだ。
それにつけても、ホーチミンの中古屋で、レミントンのナイフを買わなかったことをいまさらながらに後悔している。傷んだものは多かったが、昔の珍しいモデルがごろごろしていたのだ。今頃はコレクター達に根こそぎ漁られてしまっただろう。 せっかくニューヨークまできたのだから、これを一本見つけて持ち帰りたいものだと思った。しかしこの短い滞在中、ついにそのチャンスは訪れなかった。
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そして我々は、遅めの昼食をとることにした。場所はフランクの青春の想い出の場所、ヒューストン通りにあるデリカテッセン。コンビーフとパストラミのはさまった巨大なサンドイッチと、信じられないほどおいしいフライドポテトをしこたま食べた。 腹ごしらえを終えた私たちは、その後もセントラルパークなどを見物して、NJへの帰途についた。 またもハイウエイを疾走するトヨタ。だんだんとスピードになれてきた私は、フランクの運転をもうさほど怖がらなくなっていて、景色を眺める余裕さえでてきた。 ふと見上げれば、空には少し形の変わった雲がかかっている。 「ねぇ、フランク。あの雲、不思議な形だ。日本じゃ見たこともないような・・・」 「若いの。来るときにも言っただろう。アメリカじゃぁな、誰だって、雲だって、自分がなりたいものになれるのさ」 こちらをみてウインクするフランク。お願いだから、ちゃんと前を見て、そしてハンドルから手を放すのだけはやめてほしい。 |
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さようならニューヨーク。 飛行機が未練がましく、摩天楼の空に足跡を残す。 |
2008年 3月 |
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