ホーチミンの滞在は長いものではなかったが、ハノイでもわずか二泊。実働は一日だ。さいわいにも仕事はあっという間に終わった。夕方、一日借り切った車の運転手に、土産物屋のある通りに連れていってもらった。ここはポン引きこそいないが、子供の物売りがたむろしている。車を降りたとたんに中学生くらいの少年が絵葉書を売りに来た。英語の達者な雄弁家であった。 「10枚で2ドルです。僕は自分の学費を稼がねばなりません。あなたにとって2ドルはたかがしれた額でしょう。でも、僕には大きな意味を持つのです。それでも乞食をしたくはない。僕は働きながら学校に行きたいのです。これを買ってください。僕は…」 いちいちもっともな理屈を機関銃のように浴びせかけてくる。しかしいくら2ドルとはいえ、いちいちそうですね、と言っていたらキリがない。絵葉書はすでに十分持っている。「いらないよ」と冷たくあしらったが、なかなかあきらめようとはしない。 「とにかく絵葉書を買うつもりはない。私が欲しいのはナイフだ。どうやらこの辺には見あたらない。それを買える場所を教えてくれて、店員と交渉してくれたならガイド料として2ドルやろう」 「30分ですむよ。だから2ドルだ」 「…… わかりました」 彼の身の上に興味がわき、車のなかであれこれ話し合った。幼く見えるが16歳だという。15年前に母親が死に、歳とった父親は遠くの町で一人で暮らしているという。少年自身は新聞社に勤めるハノイ郊外の兄の家に住み、学校が終わるとこうしてバスで町までやってきて絵葉書を売っているという。自立してアパートを借りたいので稼ぐ必要があるのだそうだ。 |
彼からもあれこれ質問がでてきた。 「あなたは観光客ですか?」 「いや、ビジネスマンだよ。君ほど有能ではないけどね」 「とんでもないです…」 「いや、君は粘りがあるのに嫌みがない。私がベトナムで会社を興したら是非君を雇いたいよ」 |
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はじめに連れていってもらったのは食器屋さん。東南アジアではおなじみのキゥイマークの中華料理の包丁しかない。これはタイ製だ。 「ベトナムのナイフが欲しいんだ」 |
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次に連れていかれたのが包丁屋ばかりが集まる小さな通り。これはドンピシャだった。ただ単に包丁を売っているだけでなく、店の裏に工房を持っている店さえある。 あちこちの店先で金属を削る火の粉が飛んでいる。ほとんどが料理用の包丁で、出刃包丁そっくりのものもある。ところが手に取ってみると軽い。なぜならどれも肉厚は日本のものとは比べものにならぬほど薄いのだ。出刃包丁でも棟側でさえ1mm程度の厚さだ。にもかかわらずちゃんと割れ込みになっている。二本の包丁を擦りあわせるとまるで風鈴のようにきれいな高音を奏でる。H-LUCと店の名前が彫ってあり、DB100%と、材質の表示らしきものもある。 |
菜切り包丁は柄がやたらと短く、中華包丁に少し似ている。しかし、日本人にとってはどちらもその刃の形状から用途は推察可能だ。 「魚用か?」 「これは野菜用だろう?」という私の指摘に、 「どうしてわかるのだ?」と、彼らが驚いていた。この形状の類似はいったいどういう理由によるものだろうか。 |
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他にも日本のフクロナガサにそっくりの刃物があった。おそらく棒の先に取り付けて高所の木の実でも切り落とすのではないだろうか。私が買い求めたのは一番小さなもの。モンキーバナナかサクランボを落とすにおあつらえ向きの大きさだ。 菜切り包丁をミニチュアにしたような刃物はカービング用の小刀だと教えられたが、これだけは最初検討がつかなかった。 どれもこれもまるで剃刀のように鋭く研ぎあげられている。そして値段は気の毒なほど安い。あれこれ買い込んで1000円ほどだった。 |
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ふと気がつくと町はどしゃ降りの雨になった。車までの距離はたいしたものではなかったが、通りの様子を眺めながら雨のやむのを待つことにした。また少年が話しかけてくる。 「僕はハノイ以外は近くの田舎しか知らないけど、あなたはあちこち旅をしているんでしょう」 「うん。ホーチミンはここよりも活気があったよ」 「ハノイも去年まではもっと外国人がたくさん来て、絵葉書も今よりは売れたんだ」 「どうして外国人が減ったんだろう」 「よくわからないけど、たぶん政府とのトラブルが多くなってきたからじゃないかな」 「ありがとう。ハノイへ帰ってきたら、僕を雇ってくれるんですね」 「すぐつぶれるような会社を選んじゃいけないよ」 |
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二度目のホーチミン滞在は長かったものの滅多に出歩く機会はなかった。それでもホテルのミニバーの缶ビールがあまりに高価なので、市場に仕入れに行ったときのことだ。小さな女の子がまとわりつき、扇子を買えと言う。6月にもこの子には会っている。あのときも扇子はもう持っているよ、といってポケットから取り出すと、 まずは酒屋でビールと赤ワイン。そして友人達への土産を買い込みに行った。小さな財布をいくつも買ったときのこと、ヒンが |
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市場の一角にある店に着くなりヒンはいつもの元気を取り戻し、日本でたとえるならば浪速アキンド的雄弁さでまくしたてる。しかしアオザイというものは体にぴったりと合わなければ格好が悪い。1枚2ドルのTシャツを何枚か買って帰ろうとしたが、30ドルもするアオザイを買えとうるさい。 「今度はしばらくいるから、仲間を連れてまた来るよ」 と言うと、明日HUE(ベトナム中部の都市)に帰るからこの店は今日でおしまいだと言う。HUEのおばあちゃんが死んだので、明日HUEに帰って、もうここへ戻ることはない。だから今日アオザイを買ってくれると電車賃もできるし、とてもありがたい・・・・・。 |
どこか嘘臭いが、珍しくしんみりと話すヒン。アオザイはともかく、チャイナ風の服を20ドルほどで買うことにした。これならサイズの違いはそれほど問題ではない。 | |
「いつでも案内するから、また来てね」 「おまえ、明日HUEに帰るんじゃなかったのか?」 「エヘへヘ」 市場の出口で尻のたたき合いになった。HUEのおばあちゃんはいったい、この孫に何度殺されたことだろう。 1997年9月
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