プロローグ 日本からジンバブエに行くには、東南アジア、インド洋を経て、南アフリカに行き、そこから北上するのが一番早いようだ。しかし私は二度ともロンドン経由で行った。曜日によっては北回りの方が早いこともあるからだ。 一度目はすんなりと行ったのだが、二度目で少々トラブッた。 その便はロンドン発で、キプロスで一度、さらにザンビアでも止まり、そこからはジンバブエの首都・ハラレへ直行する便のはずだった。キプロスに止まったとき、私は一度目を覚ました。そして離陸と同時にまた、深い眠りへ。 ザンビアで二度目に止まったとき、寝ぼけていた私はそこをハラレだと思い込み、乗り合わせた周囲の人と一緒に機外に出てしまった。 前回とは違う景色にとまどいながらも、私は重たい荷物を抱え、数百メートルを徒歩で空港まで歩いた。この国の飛行場にはバスなどないのだ。 空港へ入っても、まだ私は気づいていなかった。ハラレの空港と比べるとずいぶんと小さく、日本の地方都市のものよりもまだ貧相だ。 (これは第二空港かな?、と私は無理矢理納得しようとしていた) パスポートコントロールで当然のごとくもめた。 「ようこそ遠いところから。おや、日本からですか。これは珍しい。さて、ヴィザはどうしました?」 「あれ?前回きたときはヴィザなんていらなかったと思うけど・・・」 「そのときは日本でとってきたのじゃないかい?」 「いや、そんなことはした覚えがないけれど、なにか手続きが変わったのかな?」 「まぁとにかく、ヴィザがなければ入国できませんよ。○×ザンビアドルです」 「え? ザンビアドル? 米ドルしか持っていないけど・・・」 「もちろん米ドルでもかまいませんよ」 「ところでどうしてザンビアドルなの?」 「だって、ここはザンビアですからね」 「・・・ガーーーーーンン!」 幸い、飛行機はまだ離陸していなかった。空港の職員達が大笑いする中、私はまた、滑走路を数百メートル、重い荷物を担いで走って戻った。途中ですれ違ったザンビア人らしき人たちが、大慌てで飛行機へ向かう私にほほえみながら言葉を投げかける。 「オ〜ウ・・・テイク・イット・イージー」 無性に腹の立った私は「サンノバビッチ!」と言い返したかったが、飲み込んだ。言うまでもなく、私が悪いのだ。 |
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ハラレの花見
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正直言ってジンバブエを馬鹿にしていた私だったが、来てみると意外ときれいな町並みに驚かされた。少なくとも首都・ハラレはあまり汚くない。東南アジアの方がよほど汚い。ただし、きれいなぶんだけ活気に欠けるように思えるのは気のせいだろうか? そういう国には伝統的地場製造業が少ないものだ。私がこんなことを言い出す根拠は当然、刃物にある。ナイフを見ればよくわかるだ。たしかに良いナイフはあるのだが、それらは完全に西欧式のものだ。 Shakaというロゴのついた国産ナイフを見つけた。カバの革でできたシースが珍しくて嬉しかった。このシースはナイフをさした状態で縫い目を傷つけぬように内側にちゃんと仕掛けがしてある。実用第一に考えた作りとお見受けした。さすがにハンティングの国である。 |
左がスキナー。ハンドルは黒檀で、色変わり
の部分がきれい。ブレードはステンレスら しい。ミラー仕上げもまぁまぁの水準と思う。 フルタングの作りは下のドロップポイントと 共通のようで、どちらもズシリとした重さが 心地よい。 | |
ドロップポイントはスキナーよりも気に入
った。なにせ炭素鋼で、研いでみると刃 の付き易さが秀逸であった。ハンドルは これも希少種となったココボロらしい。 |
例によって短い滞在であったが、最終日には暇になった。ホテルの近辺をウロウロしているうちに見つけた土産物屋でこのShakaマークの様々な形のナイフを見つけたのだ。その数、15種類ほど。ネパールのククリナイフを真似て作ったものまである。どれも実用品らしいので、これもまたブッシュナイフのようにして使われるのだろう。とにかく使えそうな形なら作ってしまえ、という姿勢がうかがわれる。私はこういうのが好きだ。 |
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![]() ヨーロッパ風の商店街にはホコ天もあり、そこでは パフォーマーたちが人目をひいていた。これには私も しびれた。 ショナ語の歌詞はもちろん分からない。 しかし、6人の男たちが歌い、踊る様は見事だった。 歌をぼんやり聞いているとバナナボートのように聞こ える。もちろん違うのだが、ノリは近いものがある。 |
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ところでこのカバ革シースのナイフを見つけた店には、アウトドア用品の有名ブランドであるCoghlanのマークが付いたオピネルが一本あった。ハンドルの形をみてフィレナイフだと思いこんだのだが、ブレードは普通のオピネルで、しかも炭素鋼。説明書きにはキャンピングナイフとある。他にも幾つか珍しい特徴があった。大変ラッキーであった。 |
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当地の土産物屋は東南アジアの同業者ほどには商売熱心ではない。 「いらいないよ」といえばそれでおしまいである。あまりのあっけなさに多少の寂しささえもよおす。この国を良く知る日本人から 「アフリカで一番根性のない国だ。どいつもこいつも、すぐにあきらめる」と聞かされていたが、うなづける。たしかに淡泊だ。 あきらめの悪い人間は泥棒にでもなるのか、窃盗団は派手に商売をしているらしい。しかし、一般人は「まぁいいか」式でのんびりとしている。首都のハラレでさえこれだから、地方に行けばどれほどののんびり加減かはおのずと知れている。それでも食べていけるならば彼らはよいだろう。よけいなお世話だと言われそうだ。ただ、一緒に働いている日本人が歯がゆく感じるのはもっともと思われる。 まぁいいか。つまりは私向きの土地なのだ。 誤解されたくないのでことわっておくが、私はいつでものんびりしているわけではない・・・と思う。やるときはやるのだ・・・と自分では思っている。ただ、周囲の人はそう思ってくれないらしい。人生とはややこしい。そうでもないか。 |
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公園の隅でチェスをする人たち |
こちらは土産物屋。日本人旅行客に せがまれて楽器の実演をしていた。 |
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こぎれいな公園にはそんなのんびりした人が大勢いた。平日でも働くでなく、休むという風情でさえない。生まれたときから死ぬまで、この公園でひなたぼっこをしながらのんびり暮らしていくのさ・・という顔つきの人たちが紫の花の下でまどろんでいる。 来る年も来る年も、この花は彼らの目を楽しませながら、昼寝をしやすい日陰を作ってやる。至れり尽くせりの紫のゆりかごは、永遠の赤ん坊をあやし続ける。彼らに似つかわしい刃物は、いつまでも生まれない。 |
1998年9月